牟羅久毛神社とも、水神を祀り、雨乞い祈願、式内論社
天村雲神社 徳島県吉野川市山川町流32
[住所]徳島県吉野川市山川町流32
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天村雲神社(てんむらくもじんじゃ/あめのむらくもじんじゃ)は、徳島県吉野川市山川町流にある神社。JR山瀬駅の南東500メートル。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 麻殖郡「天村雲神伊自波夜比売神社二座」に比定される式内社(小社)の論社。忌部神社の境外摂社である。

創祀年代は不詳。社号標には「牟羅久毛神社」とある。御祭神は天村雲命・伊自波夜比売命。

式内社研究家の志賀剛によれば、天村雲命は雨神、伊自波夜比売命は出水神で、天地の水神を祀っているとする。地名「流」は水の流れるさまか。

当社でも、「村雲神は水政の神であり、低地における農耕集落の祭神として信仰せられ、旱魃の際は村人が集まり雨乞いを祈願したことと思われる」とする。

『先代旧事本紀』によれば、村雲神は饒速日命の孫にあたるとという。当地の忌部の人々が、地主神または守護神として、阿波国忌部郷雲宮に祀ったという。

『阿淡両国神社録』には、当社について、「忌部神社の摂社牟羅久毛神社」とある。

式内社「天村雲神伊自波夜比売神社二座」について、『阿波志』では忌部山中、『阿府志』では山崎村として、実質的に当社を比定しているという。

しかし、『式内社調査報告』では、「古代における麻植郡射立郷の村落としての字村雲が、天村雲神社の所在地であったことは疑問の余地はない」とし、当社比定を否定。

つまり『式内社調査報告』は、村雲の同名神社を式内社として考えていることになる。

鎌倉時代初期の建久年間(1190年-1198年)に社殿が造営され、戦国時代の永禄元年(1558年)6月16日に再興された記録が残る。

江戸時代前期の天和4年(1684年)に忌部常応が書いたとされる紙幟に「天村雲神社」とあり、この地に村雲神社があったことが記録されている。

また、山崎八幡神社に保存されていた棟札77枚の中に、村雲神社に関する一枚の棟札があり、それには下記のようにある。文政2年は江戸時代後期の1819年。
奉再興天村雲神社御殿一宇遷宮 文政二己卯五月十二日 大工藤原浅吉
例祭は10月21日。なお、阿波郡の式内社「建布都神社」の論社である伊笠神社では、天之二上命を祀る。他では見られない神名で、天村雲命の別名だとされる。

【ご利益】
五穀豊穣、健康長寿
天村雲神社 徳島県吉野川市山川町流
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