天叢雲剣(草薙剣)を製造した一族? 式内論社の一つ
天村雲神社 徳島県吉野川市山川町村雲133
[住所]徳島県吉野川市山川町村雲133
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天村雲神社(あめのむらくもじんじゃ)は、徳島県吉野川市山川町村雲にある神社。JR阿波山川駅の西1キロほど。JR線路のほど近く。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 麻殖郡「天村雲神伊自波夜比売神社二座」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。

創祀年代や由緒は不詳。御祭神は、式内社名通り天村雲命と伊自波夜比賣命(伊自波夜比売命)。

天村雲命は、別名「天五多底命(あめのいだてのみこと)」で、射立の神とされる。鎮座地周囲には湯立という字が残っており、これは射立からの転訛だという。

射立神だとすると、天村雲命は五十猛命とも。五十猛命は素盞嗚尊の御子神で、伊達神とも呼ばれる。

陸奥国 色麻郡と紀伊国 名草郡の式内社に伊達神社(宮城県加美郡色麻町和歌山県和歌山市園部)があるが、いずれも五十猛命(大屋毘古神)を祀る。

ちなみにこれら伊達神は、いずれも名神大社。また、『古事記』にもあるように、素盞嗚尊は八岐大蛇を退治し、その尾から天叢雲剣を手に入れた。

天叢雲(あめのむらくも)=天村雲であるならば、五十猛命の父神であることの象徴にもなる。

天叢雲剣は、後に草薙剣と呼ばれる、三種の神器の一つとなる。時代は下り、第12代景行天皇の御代、日本武尊がこの剣を振るう。

草薙剣は、素盞嗚尊・五十猛命はもちろん、日本武尊の象徴となった。神奈川県に多い杉山神社の御祭神は、日本武尊か五十猛命の場合が多い。

また、阿波郡の式内社「建布都神社」の論社である伊笠神社では、天之二上命を祀る。他では見られない神名で、天村雲命の別名だとされる。

建布都神は、武甕槌命の別名ともされ、大和石上神宮の御祭神である布都御魂大神と同神だという。やはり剣である。

『延喜式』神名帳では、忌部神社の名から改行されて数段下げて、「天村雲神伊自波夜比賣神社二座」とあることから、一時期は忌部神社の摂社だったこともあるようだ。

当社の創始に関しては、阿波忌部氏と鍛冶集団の関係が指摘されている。高越山周辺は鉱物資源が多く、吉野川を挟んだ美馬市脇町には弥生終末期の拝原東遺跡がある。

忌部氏との関係はもとより、実際に、当地で天叢雲剣が造られたという説もある。だとすれば、天叢雲剣はもともと忌部氏の影響下で製造されたことになる。

天村雲命は天牟羅雲命と同一神ともされ、『先代旧事本紀』によれば、饒速日命の天降りに随伴した三十二人の防衛の一人。

天香語山命の子とする伝承もある。大和国に移り、その後、伊勢国・尾張国・越後国まで開拓した一族ということになる。

天牟羅雲命自身は、直接的には渡会神主などの祖とされるため、伊勢国との結びつきが強いか。

また、父である天香語山命は、初代神武天皇の東遷の際、武甕槌命に命じられ、霊剣を神武天皇のもとに持参した。これは『古事記』にもある

日本の神話における重要な剣の伝承は、古代日本での鍛冶集団の活躍を連想させる。

それらは『古事記』ではあくまでも別々のものに見えてしまうが、『古事記』に記載のない天村雲命を中心にすると、すべてつながってくる。

なお、式内社研究家の志賀剛によれば、天村雲命は雨神、伊自波夜比売命は出水神で、天地の水神を祀っているとする。

境内には干ばつにも枯れない泉があると伝えられ、社地は吉野川・川田川にも近い場所にあり、水神を祀るのにふさわしいとされる。

当社の例祭は10月21日。なお、式内社「天村雲神伊自波夜比売神社二座」の論社は他に、流に当社と同名の神社がある。

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天村雲神社 徳島県吉野川市山川町村雲
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