浅野内匠頭が切腹した地、大イチョウ焼失後に奉斎、新正堂の店内
田村銀杏稲荷大明神 東京都港区新橋4-28
[住所]東京都港区新橋4-28
[電話]-

田村銀杏稲荷大明神(たむらいちょういなりだいみょうじん)は、東京都港区新橋にある神社。旧地には現在お社はなく、近くの和菓子屋「新正堂」店舗内で非公開に祀られている。御朱印の有無は不明。

日比谷通の新橋4丁目交差点脇の歩道に、内匠頭が切腹した場所を示す「浅野内匠頭終焉之地」の石碑が建ってる。この辺りは、奥州一之関藩主田村右京大夫建顕の上屋敷があった場所。

内匠頭は、江戸時代前期の元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下で刃傷沙汰を起こした後、田村邸に預けられ、将軍綱吉の裁断により即日切腹となった。

上野介を討ち取れなかった無念の思いを詠んだという時世の句「風さそう 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」はあまりにも有名。

切腹を遂げた庭は、実際は石碑の建つ場所よりも東寄り、日比谷通と新橋赤レンガ通りとの中間あたりだったという。

塀の外側には、その切腹の場を見ていただろうという大イチョウがそびえていた。しかしその大イチョウも大正12年(1923年)の関東大震災で焼失した。

その後、危険回避のため、切り倒され、その切り株の上に祀られたのが当社の起源。戦前、忠臣蔵を演じる歌舞伎役者が必ず参拝したという。

しかし、昭和20年(1945年)の戦災により、焼失し、衰微、一旦は姿を消した。それから半世紀以上を経て、都の環状2号線(マッカーサー道路)が旧田村邸跡を切り裂く様に通ることが決まった。

そこで、由緒あるこの地の歴史に伝えようと平成16年(2004年)2月、地元有志によって田村邸の庭先の一角に当社は復興された。その旧社地は、幅わずか1メートルほどの小さなものだった。

平成23年(2011年)から翌年にかけてのマッカーサー道路の開通工事に伴い、当社は一時、近くの、大正元年(1912年)創業の老舗和菓子屋である新正堂の店内に移された。

その後、道路は開通、旧社地も残ってはいるものの、現在も店内で非公開で祀られている。ちなみに、新正堂の名物は「切腹最中」。赤穂事件の伝統を今に伝える。

【ご利益】
諸願成就、技芸・スポーツ上達
田村銀杏稲荷大明神 東京都港区新橋
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