小松城の鬼門に創建、重文の社殿、十五重の石塔、平成に浮島化
[住所]石川県小松市天神町1
[電話]0761-22-2539

小松天満宮(こまつてんまんぐう)は、石川県小松市天神町にある神社。近代社格では県社。県道101号線近く、日本海へと注ぐ梯川のほとりに鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

江戸時代前期の明暦3年(1657年)、加賀藩3代藩主前田利常が小松城に隠居した時、前田氏の氏神である北野天神を城北に当るこの地に社殿を造営して鎮祭したのが始まり。

東は霊峰白山を望み、西は安宅の海岸に続く梯川の畔にあって、今も厳かな風致を保っている。前田家代々の尊崇が篤かった。

小松城の表鬼門にあたる艮の方向に、守山城、金沢城、小松城を1本の線で結ぶ直線上に立地している。藩にとっては非常に重要な神社だった。

初代別当が近世を通じて連歌の第一人者である能順だったこともあり、絵画・書蹟・文書・典籍など貴重なものが多く、今も宝物殿に保管してある。

社殿は北野天満宮の社頭を4分の1に縮めて造られた。加賀藩のお抱え大工で瑞竜寺・妙成寺・那谷寺などの造成に携わった当時の名工山上善衛門の手になるもの。

現在では、神門とともに江戸時代の唐様建築の代表的なものとして、国の重要文化財に指定されている。

江戸時代、当宮から金沢の観音院へ、5回の出開帳が行われた。社殿前面に釣鐘灯籠が釣り下げられている。

これは、江戸時代後期の文政2年(1819年)の第4回出開帳時に金沢の鍵街居住の高田氏によって奉納されたもので、著名な鋳物師・横河五郎右衛門作のもの。

現在までに御祭神は、菅原道真公の他、前田利常公・白太夫神・応神天皇を祀る。氏子区域は市内天神町。

梯川の氾濫対策として、上流から下流まで堤防の幅を広げる工事が計画的に行われてる。当宮も例外ではなく、堤防の幅を広げる計画の範囲内となった。

一時は、当宮の移転も想定されたが、文化財の宝庫である当宮の移転に反対する声が根強く、当宮を輪中堤で囲み、浮島化する工事が行われた。

平成7年(1996年)、計画が検討され始め、完工は平成28年(2017年)。増水した際も梯川の本水路と分水路で水が分散され、効率よく水が下流まで流れるような仕組み。

境内には、紅白合わせて約100本ほどの梅が植えられていて、3月初旬にはほんのりと梅の香を漂わせる。

当宮の臥牛像は、幕末の慶応(1865年)、越前浜坂浦の城谷氏という北前船主が当宮に奉納しようと作らせたもの。「願かけ撫牛」としての由緒を伝える。

出来上がって船に積み込もうと大勢の人が集まったがビクとも動かず、その日の出航を取り止めることにした。その後、海が大時化になり、事なきを得た。

境内には他に、全国的にも珍しい十五重の石塔がある。社殿創建時に作られたこの石塔は、高さ7メートル24センチ。石材は金沢市の坪野町で産出されていた坪野石。

【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒、厄災除け(公式HP
小松天満宮 石川県小松市天神町
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小松天満宮 石川県小松市天神町の御朱印