高爪山が御神体山、利家が十一面観音を安置、鎌倉期の懸仏と仏像
[住所]石川県羽咋郡志賀町大福寺ナ58
[電話]0767-42-0781

高爪神社(たかつめじんじゃ)は、石川県羽咋郡志賀町大福寺にある神社。近代社格では県社。国道249号線沿いに鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀年代は不詳。現在も頂上に奥宮がある高爪山(たかつめやま)を御神体山とした、原初的な信仰が起源だと考えられている。

標高341メートルの高爪山は、山容の美しさから、能登富士と呼ばれ、土地の人々は、「岳(だけ)」、高く大きな山の意の「岳山(だけやま)」と呼んで崇拝してきた。

やがて、農耕生活が始まり、大福寺・酒見川流域の野の民は農耕神として、また、浦の民からは航海神として、農・漁民など幅広い信仰に支えられるようになった。

当社由緒書によれば、仏教の流入によって、「往古は、内宮・外宮・末社八あり」という状態に整備され始めたという。

内宮を六社宮と称し、日本武尊菊理比叱など4柱の神を祀り、外宮を高爪神社と称し、串稲田姫命事代主命・日本武尊の3柱の神を祀ったという。

第41代持統天皇が内外宮を国家安康の祈願所と定め、第42代文武天皇も尊信した。大宝3年(703年)6月、正一位真蘇坊洞ケ岳大明神の勅宣を賜ったという。

最盛期には、数十人の神官・僧官が分立して、山麓に寺坊を建て、山頂で6柱の神(高爪大明神・気多大明神・白山妙理権現・伊須留岐権現・若王子・八幡大菩薩)の祭祀を執行した。

これを管理支配したのが、蓮華光院大福寺で、いわゆる神仏習合の時代が長く続いた。鎌倉時代の文永12年(1275年)銘がある懸仏(かけぼとけ)六面が伝わる。

六社宮の本地仏で、木造彩画で他に類を見ない形式だとされ、現在は国の重要文化財に指定されている。他に鎌倉期の木像薬師如来坐像があり、県指定重要文化財。

安土桃山時代以降、前田利家をはじめ、歴代の藩主の崇敬が篤くなり、社殿の造営や社領の寄進などを行った御印物が現存している。

その中には利家直筆の書状があり、町指定重要文化財。

特に、利家が十一面観音を安置して以来、外宮の高爪神社は観音堂としての信仰を集め、能登国33番観音霊所の第26番の札所として、今も観音講の信者の参詣が行われる。

ただし、利家寄進の像は現存せず、現在の像は江戸時代中期の宝永7年(1710年)に再造されたもの。

境内には廃仏毀釈を免れて、金龍山大福寺の堂が残り、今でも講の信者による御詠歌の合唱が流れることがあるという。

なお、当社には松雲院(綱紀)、微妙院(利常)、瑞竜院(利長)の前田家の位牌が安置されている。

明治2年(1869年)、寺院を廃絶して独立。御祭神を日本武尊1柱として、現社号の神社となった。明治35年(1902年)3月4日、県社に列した。

日清・日露戦争で活躍し、陸軍大将になった秋田出身の大嶋久直が書を寄進した他、時の県知事である村上義雄も書を寄進しており、現存している。

御神木は椨(たぶのき)で、県内第2位の巨木。樹齢数百年だとされる。

なお、町内の西海神社、少彦名社、輪島市の門前町の馬渡の松尾神社、大釜・清沢・久川の春日神社、切狹神社、神明原神社、仁岸神社を兼務している。

【ご利益】
平穏安寧、五穀豊穣、大漁満足、交通安全
高爪神社 石川県羽咋郡志賀町大福寺
【関連記事】
石川県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
高爪神社 石川県羽咋郡志賀町大福寺の御朱印