平安期に現在地遷座、芭蕉の山王句会、5月お旅祭り、子授けの石
[住所]石川県小松市本折町1
[電話]0761-22-0163

本折日吉神社(もとおりひよしじんじゃ)は、石川県小松市本折町にある神社。近代社格では県社。JR北陸本線の小松駅西方、小松運動公園の東方に鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

町の中心にある、破風付の朱色の鳥居が印象的な山王宮。昔から「山王さん」「日吉さん」と呼ばれ親しまれている。

創祀年代は不詳。往古より能美郡得橋郷、現在の古府町にあたる国府村の府南山(舟見山)に鎮座していた。国司を始めとして、広く崇敬された。

平安時代の安元年間(1175年-1177年)、鵜川涌泉寺の合戦が起り、当社もその被害を受け、治承3年(1179年)に現在地に遷座し、新たに祠殿を建立して、山王宮と称した。

安土桃山時代の天正4年(1576年)、若林長門が小松に城を築き、当社を特に尊崇し、社殿を修理したが、後年、柴田勝家の兵火にかかり、殿宇の一半を失った。

慶長年間(1596年-1615年)、丹羽長重が城主になると、当社を再興し、神鏡・古刀などを奉納し、命じて本折八ケ町の産土神とした。

江戸時代になり、寛永17年(1640年)、加賀藩3代藩主前田利常が養老のために小松に入城し、当社を祈祷所とし、本郡の総社と定めた。

さらに、社地を賜い、奉幣の儀を行い、毎年神輿の渡御にはまず城の大手前で加賀・能登・越中の三州の無事安泰と、前田家の武運長久を祈るを例とした。

これが現在のお旅祭りの起源である。

松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中、元禄2年(1689年)7月24日、小松に入り近江屋という旅宿に泊まった。翌25日、出立しようとしたが小松の人々に引留められた。

そこで、小松山王宮神主藤村伊豆守章重(俳号)鼓蟾の館に一泊し、同夜、芭蕉はじめ曾良、北枝、歓生、塵生ら10人が句会を催した。

いわゆる山王句会である。曾良の日記に前書と吟句が書き留められている。また、江戸時代中期の亨保2年(1717年)4月、宣旨があって、正一位の神階を賜った。

明治8年(1875年)、本折の郷という橋南一帯の広い地名を採り、現社号に改称、昭和12年(1937年)、県社に昇格した。

御祭神は大山咋神。5月第2土・日曜日に行われる小松市お旅祭りは、菟橋神社と当社の春祭り。神輿が氏子町内をお旅するので、祭りの名称になったという。

豪華絢爛な曵山の上で繰り広げられる子供歌舞伎。浄瑠璃と三味線にあわせ、華麗な衣装をつけて熱演する子供たちの芝居は見応えがあるという。

氏子区域は、市内の相生町・旭町・芦田町・有明町・育成町・上寺町・希望丘・光陽町・国府台・栄町・清水町・末広町・大文字町・宝町・寺町・土居原町・西軽海町・錦町・西町・西本折町・白山町・東町・光町・日の出町・日吉町・古河町・本鍛治町・本大工町・本町・みどり町・本折町・八里台・大和町・八日市町・八日市町地方・龍助町と、能美市の松が岡・緑が丘。

境内には稲荷神社がある。また、先述の芭蕉句碑もある。

お参りするとご利益があるという「子授けの石」が祀られている。授与所では「子授け矢」やお守り、絵馬もあり、パワースポットとして知られている。

色合いやデザインが可愛らしい、また神使い「猿」をモチーフにしたお守りなども人気。「勝守」は、スポーツや就職活動、その他あらゆる勝負事に勝つご利益がある。

【ご利益】
家内安全・商売繁盛・合格・必勝・子授け
本折日吉神社 石川県小松市本折町
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本折日吉神社 石川県小松市本折町の御朱印