平安期に勧請した京の賀茂明神が式内か、伊達藩主家の篤い崇敬
鶴ケ峯八幡宮 宮城県黒川郡大和町宮床赤坂73
[住所]宮城県黒川郡大和町宮床赤坂73
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鶴ケ峯八幡宮(つるがみねはちまんぐう)は、宮城県黒川郡大和町宮床赤坂にある神社。鶴ヶ峯八幡宮、鶴ヶ峯八幡神社とも。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。もともとは八幡宮を祀っていた。平安時代の長徳元年(995年)、宮内少輔が京都の賀茂明神(上賀茂下鴨)を勧請し、宮中大明神と称した。

鴇田淡路実清が斯波宮内大輔氏直(黒川氏)の家臣となり、信州より諏訪明神を勧請して、宮中八幡に祀った。

諏訪明神に対して、鴇田氏は神剣の怒撃丸を奉納した。この怒撃丸は鎌倉時代末期の正和4年(1315年)、備前景光作と伝わる。

江戸時代初期の元和7年(1621年)2月、伊達政宗が社参。江戸時代中期の宝永元年(1704年)8月、5代藩主伊達吉村がやはり社参した。

同年10月には社領30石が寄進され、享保15年(1730年)、吉村が造営した。この際、賀茂神・諏訪・稲荷・愛宕・白山社を末社としたという。

また、延享元年(1744年)6月、6代藩主伊達宗村も社参した。別当は羽黒派当村修験鶴峯山正善院だったが、明治9年(1876年)の山火事で焼失した。

御祭神は、応神天皇神功皇后玉依姫

『宮城県神社名鑑』によれば、別当正善院清範が、合祀されている賀茂明神が『延喜式神名帳』陸奥国黒川郡の須伎神社(小社)であると伝えている。

また、境内社の鳴上賀茂明神宮は、安永3年(1774年)の「黒川郡宮床村風土記御用書出」によって、式内社「須伎神社」に比定された。

ただし、これは両者同じことを言っている可能性が高く、宮内少輔が勧請したものこそが式内社、ということだろう。ただし、勧請は『延喜式神名帳』以後のことではある。

式内社「須伎神社」の他の論社に、大衡村の須岐神社がある。伊勢国河曲郡にも同名の式内社があり、現在、三重県鈴鹿市南長太栄町の須伎神社に比定されている。

鳥居の右に出羽三山など4基の石碑が祀られている。鳥居をくぐり、参道を進むと、草に覆われた、昔のままの石組みの石段が続く。それを登りきると境内。

境内入口に安永6年(1777年)建立の狛犬一対が安置されている。阿吽ともに頭上に小さな突起があり、土偶のような大きく四角い目と膨らんだ頬が特徴的。

また、口蓋が割れ大きく耳まで続いた口、顔の中央にチョコンと乗った鼻、短く編まれたような顎髭と同じく短髪の鬣、尾は広く薄く背に張り付いている。

他に境内では、仏像や末社などが祀られている。

【ご利益】
厄災除け、病気平癒、安産
鶴ケ峯八幡宮 宮城県黒川郡大和町宮床赤坂
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