江戸中期再建の神明社、漁師「おぶり」、遷座記念の砲弾
神明社(長浦神社) 神奈川県横須賀市長浦町2-76-1
[住所]神奈川県横須賀市長浦町2-76-1
[電話]045-701-9992 - 瀬戸神社

長浦神社(ながうらじんじゃ)は、神奈川県横須賀市長浦町にある神社。正式には神明社で、田ノ浦神明社とも。瀬戸神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。

田の浦の交差点、いわゆる長浦交番の裏側の山腹に鎮座する。当社の東方、JR横須賀線の田浦駅のより近くには、田浦神明社長浦神明社という二つの神明社がある。

創建年代は不詳。『新編相模国風土記稿』には、江戸時代中期の「正徳3年(1713年)の棟札あり」とあるが、これは再建の時のもの。

御祭神は伊邪那岐命伊邪那美命猿田彦命。当地の漁師の厚い信仰に支えられた社である。

大漁の時は、「おぶり」といって、その魚の一部を社で撒いて大漁を祝い、撒かれた魚は土地の人たちが拾ってごちそうにしたという。

もとは田の浦の小字浜の地、現在の長浦町1丁目1597番地にあったが、大正15年(1926年)、社地一帯の田の浦浜が海軍軍需部用地として買い上げられた。

同年12月、当社は現在地に遷座。田浦保育園の山際の旧社地には、昔のままの石段があり、社の基礎がそのまま残っていて、昔をしのばせる。

昔は、田の浦の大松といわれた松は裏山の頂上に、椎が境内に植えられていたが、松の方は大正12年(1923年)の関東大震災で枯れ死してしまったという。

境内には、この大正15年の遷宮を記念して、田之浦青年團が奉納した30センチ砲弾が安置されている。砲弾長は約90センチ、日露戦争の戦利品の野砲砲弾だという。

なお、社殿への階段脇にはもう1基、由来不明の砲弾が奉納されている。

また、幕末の嘉永7年(1854年)、当時の名主、小林吉郎兵衛、世話人宮本八右衛門などから奉納された浄水盥がある。

例祭は7月最終日曜日で夏祭り。4月上旬の日曜日が春季例祭で春祭り。いずれも瀬戸神社の神職が来て、湯立神楽が行われる。

【ご利益】
夫婦和合、家内安全、交通安全
神明社(長浦神社) 神奈川県横須賀市長浦町
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