頼朝が勧請、七瀬祓とみそぎ橋、9月例祭で渡御と浜降り、6月潮神楽
[住所]神奈川県三浦郡葉山町堀内1025
[電話]046-875-6097

森戸大明神(もりとだいみょうじん)は、神奈川県三浦郡葉山町堀内にある神社。森戸神社(もりとじんじゃ)とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

裕次郎灯台など、石原裕次郎ゆかりで知られる森戸海岸、静かな葉山森戸の海沿い、少し海に突き出た部分にあり、抜群の眺望と雰囲気で知られる。

平安時代末期の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ、伊豆に流された源頼朝は、三嶋明神(現 三嶋大社)を深く信仰し、源氏の再興を祈願した。

治承4年(1180年)、その御加護により、旗挙げに成功し、天下を治めた頼朝は、鎌倉に拠ると、すぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、鎌倉に近い当地に勧請した。

御祭神は、大山祇命事代主命。『吾妻鏡』によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったという。

災厄が生じると加持祈祷が行われ、七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記され、源氏はもとより鎌倉要人からも篤い信仰があり、特に三浦党の祈願所でもあった。

七瀬祓(ななせはらい)とは、古昔、朝廷に於て行はれた祓の一種。7ヶ所の神聖な河海に臨んで行った。

ここでは、由比ヶ濱・金洗澤池・固瀬川・六浦・柚川・杜戸・江の島龍穴。このうち、杜戸が当社の森戸。現在も、「みそぎ橋」がかかっている。

戦国時代になり、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、安土桃山時代の天正19年(1591年)には徳川家康より社領7石が寄進された。

江戸時代前期の延宝2年(1674年)には徳川光圀が、明治25年(1892年)には英照皇太后陛下が参拝した。

現在も葉山の総鎮守として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れている。神奈川県神社庁の指定神社の一つ。

例祭は9月7日・8日。8日の当日は、神社本庁より幣帛を奉る献幣使を迎え、宮司以下神職、氏子総代が奉仕し、大勢の参列者を迎えて執行される。

その後、湯立神楽(鎌倉神楽)が奉納される。鎌倉時代に京都の石清水八幡宮より鎌倉の鶴岡八幡宮に伝わり、現在では葉山町や藤沢市などで伝承されているもの。

7日の宵宮では、開運・厄除・諸願成就の大祈願である特別護摩焚上神事が行われる。余興は両日とも19時より境内で行われる。

神輿渡御でも知られる。森戸、三ヶ浦、あずま、真名瀬、元町高砂の5町内会による神輿は8日14時出発。それぞれ町内を練り歩いて当社に向かう。

森戸海岸での合同渡御は15時45分ごろ、海の中で神輿を担ぐ真名瀬の「浜降り」は16時10分ごろから行われる。

1月1日は氏子安泰祈年祭・歳旦祭。初詣の参拝客で賑わう。1月14日が左義長神事で、いわゆるどんど焼きまたは斎灯焼き(さいと)。

2月3日が節分祭で、2月第1土・日曜日にはやはり特別護摩焚上神事が行われる。5月5日は端午の節句、尚武まつりで、境内には「こいのぼり」が飾られ、巫女舞が奉納される。

6月16日には無形民俗文化財に指定されている潮神楽。海市山市と呼ばれる市も開かれ、新鮮な海の幸山の幸が並ぶ。

また、5年ごとに大祭が執り行われ、大祭の年には3人の「乙姫様」が海を渡り、名島の竜宮様にお参りする「乙姫様竜宮参り」が執行される。

7月7日が七夕まつり。本殿前には7月1日から7日までの1週間、期間限定で七夕の笹飾りが設置され、短冊に願いを込め、結ぶことができる。

社殿は「森戸神社社殿」として、町指定重要文化財。社宝に、翁面・猿田彦面(運慶作)・硯箱がある。

境内社に、咳に関わるおせき稲荷社(宇迦之御魂大神)、水天宮(天御中主神)、総霊社(英霊・祖霊・水子の霊)、ペットの健康長寿で知られる畜霊社(保食神)がある。

境外末社に、熊野神社・日吉神社がある。なお、当社は、町内堀内の須賀社(須佐之男命)、下山口の神明社(天照皇太神)、一色の森山社櫛稲田姫命)を兼務している。

【ご利益】
開運厄除、安産、子授、良縁、家内安全、商売繁昌、交通安全、恋愛成就、技芸上達など(公式HP
森戸大明神(森戸神社) 神奈川県三浦郡葉山町堀内
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