日本武尊が通過した地、尊の歌に登場する平群山、伝説残す平群池
平群神社 三重県桑名市志知369
[住所]三重県桑名市志知369
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平群神社(へぐりじんじゃ)は、三重県桑名市志知にある神社。『延喜式神名帳』にある「平群神社(伊勢国・員弁郡)」に比定される式内社(小社)。御朱印の有無は不明。

久米小学校の西、俗称ちげの山、平群山というこんもりと木の茂った低い小山の東斜面に鎮座する。この山は古墳である可能性が大で、古代神奈備の遺跡である。

平安時代前期、第54代仁明天皇(在位:833年-850年)から第56代清和天皇(在位:858年-876年)の間に創立したと伝わる。

木菟宿祢(ずくのすくね)の後裔である平群氏族は、味酒臣(うまざけのおみ)の姓を賜り、大和国から伊勢国のこの地に移住、祖神を祀ったものだという。

この地は倭建命(日本武尊)御駐足の跡と伝えられており、境内には氏子などによって建てられた、『古事記』にも記載されている尊の下記の歌を刻んだ石碑がある。
命の またけむ人は たたみこも 平群の山の 熊白檮が葉を 髻華に挿せ その子
解説
瀕死の重傷を負った倭建命が、故郷の大和の平群の地を思い出したとも。奈良県生駒郡平群町には平群神社平群坐紀氏神社がある。

また、境内奥には倭建命の足洗池と伝えられる池があり、平群池とも、志知の宮池とも、平群沢ため池とも呼ばれている。下記の伝説が伝わっている。

先述のように、平安時代の創立とされる当社だが、倭建命の時代にすでに当地は平群と呼ばれていたことを考えれば、当社の創祀はもっとさかのぼる可能性がある。

ともかく、当社は鎌倉時代、広く崇敬されたと伝わる。当社の御祭神は、木菟宿根・天照大御神建内宿根命大己貴命須佐之男命大山津見命・倭建命を配祀する。

例祭は10月12日。神明造の本殿と拝殿・社務所がある。

平群池の伝説

片目の魚
この池に住む片目の魚を採ると神罰が当たるといわれ、 誰も近づかなかった。ところが、ある日、松右衛門という漁師がこっそりと網をかけ、大鯰(なまず)を生け捕った。

籠に入れて帰ろうとすると、池の方から「松右衛門やーい、松右衛門やーい」と呼ぶ声がした。すると、籠の中の鯰が「おおーい、おおーい」と返事をした。

松右衛門は驚いて鯰を池へ放り込んで逃げ帰った。しかし、松右衛門は病気になって死んでしまったという。
九左衛門と白鷺
また昔、志知に猟師の九左衛門という人がいた。ある日、平群池のほとりで白鷺を撃とうとしていたところ、足を滑らせて池に落ちた。

岸にはい上がろうと泳いでいると、ふんどしの中にモロコがいっぱい入り、ふところには鯉が飛び込んできた。

シメシメと思った九左衛門は、池から上がろうと木の根をつかんだ。ところが、木の根と思ったのは、兎の後ろ足だった。

突然足を捕まれた兎は、驚いて逃げようとして前足で土を掻いた。その土の中から山芋がたくさん取れた。

白鷺を撃ち損ねた九左衛門は、 池に落ちたことによってモロコ・鯉・兎・山芋を手に入れ、「災い転じて福となった」と、初めは喜んだ。

しかし、あまりの幸運に気持ちが悪くなり、以後殺生をやめたという。

現在、この池から流れ出る水は、土地改良が行われた水田へのかんがい用水として利用されている。

【ご利益】
諸願成就、一族・子孫繁栄、開運招福
平群神社 三重県桑名市志知
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