『日本書紀』記載?『三代実録』の飄別神、江戸後期からの獅子舞
[住所]長野県長野市風間781-1
[電話]-

風間神社(かざまじんじゃ)は、長野県長野市風間781-1にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「風間神社(信濃国・水内郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

長野駅から南東約3キロほど、県道からやや入った住宅地に鎮座する。周辺には、西風間公民館・長野市役所大豆島支所・長野市立大豆島小学校などがある。

『日本書紀』によれば、第33代推古天皇5年(596年)「竜田風神信濃須坂・水内社を祀らしむ」とある。

また、『日本三代実録』貞観2年(860年)には「飄別神に叙位」との記述がある。これらが当社を指すと考えられる。

ただし、水内神は水内郡の名神大社で、水内大社とも称される健御名方富命彦神別神社(長野市長野長野市信州新町飯山市に論社)のこととする説もある。

平安時代の天元2年(979年)、諏訪氏の庶流・矢島忠直が庄司として派遣され、風間姓を名乗り、これが各地の風間氏の発祥となった。

鎌倉幕府の執権北条氏の時、諏訪社大祝職である諏訪盛重は北条泰時、経時、時頼の三代の執権に仕えた。この影響で、風間郷の当社も、諏訪大明神に改められた。

江戸時代になると、「諸社禰宜神主法度」により、宮崎若狭守が京都の吉田家から神道裁許状を受け、「風間大明神」の社号が許された。

江戸時代前期の元禄10年(1697年)のこととされる。現在も境内には伊勢国との関係の強さが残るが、この改号も、伊勢国の宮崎氏による。

江戸時代後期の文政5年(1822年)、京都吉田家の宗源宣旨といわれる宣旨で神階を発行し、風間大明神から現社号に改称した。

この年から今に続く「太々神楽獅子舞」が始まった。歌詞がなく太刀を持つ雄獅子であり、現在は市選択無形民俗文化財に指定されている。

御祭神は、伊勢津彦命・級長津彦命・級長戸辺命・建御名方命。例祭は10月1日・2日で秋季例大祭。獅子舞は春の大祭でも披露される。

社宝として石神像二体と薙鎌、舞楽面がある。境内社に、伊勢社・金刀比羅社・天村雲社・猿田彦社・天神社・三宝荒神社・伊勢社などがある。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、武運長久・勝運
風間神社 長野県長野市風間
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