もとの山王社、奈良前期の創建とも、昭和に御霊神社などを合祀
上粕屋神社 神奈川県伊勢原市上粕屋1334
[住所]神奈川県伊勢原市上粕屋1334
[電話]0463-94-0079 - 比比多神社

上粕屋神社(かみかすやじんじゃ)は、神奈川県伊勢原市上粕屋にある神社。近代社格では村社。現在は比比多神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。

小田急小田原線の伊勢原駅から神奈川中央交通のバス「大山ケーブル行」で「道灌塚前」下車。そこから徒歩5分の地。バス停名からも分かる通り、近隣には太田道灌に関する遺構も多い。

奈良時代前期の天平年間(729年-749年)、大山寺開創の際、僧良弁がこの地に山王社を勧請したのが起源だという。

別伝では、平安時代前期の大同年間(806年-810年)及び弘仁年間(810年-824年)に近江国から日吉神を勧請して社号を山王社と唱えたものともいう。

上杉館の鎮守だった。上杉館は扇谷上杉家の本拠地で、当社の裏手には今も館の空堀跡が残っている。堀を越えたあたりに広がる台地の一帯が上杉館の跡。

かつては日吉山吉祥院(古義真言宗)という寺院が別当寺を務めていた。安土桃山時代の天正19年(1591年)11月、朱印状が発給され、1石5斗の寄進があった記録が残る。

江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)に改称した。江戸時代後期の『新編相模国風土記稿』上糟屋村の条には「山王社」とある。

それによれば、上粕屋村の小名山王原の鎮守で、鐘楼には明暦3年(1657年)鋳造の鐘を掲げていたという。

毎年12月20日には、当社地で年の市が立っていたという。また、「末社。稲荷、八王子権現、築山権現、荒神、天王、天神、庚申」。

明治2年(1869年)6月に日枝神社を合祀して日枝神社に改称。明治6年(1873年)7月、字和田内に鎮座した往時は朱印高2石だった熊野神社と、字石倉上鎮座の白山社を合祀した。

この際、現社号に改称した。昭和39年(1964年)4月には字峯岸鎮座の御嶽神社を、昭和41年(1966年)10月、字秋山鎮座の五霊神社(御霊神社)を合祀した。

御祭神は、大山咋神大穴牟遅神若山咋命。順次合祀した、以下の御祭神を合祀してる。

・旧熊野神社…伊弉諾命・速玉男命・事解男命
・旧白山神社…菊理比売命・泉道守命・伊弉冊命
・旧御嶽神社…日本武尊
・旧五霊神社…天穂日命・大己貴命・少彦名命事代主命・三穂津姫命

伊弉冊命は熊野社の御祭神かもしれない。また、この秋山御霊神社とも呼ばれた五霊神社の御祭神は、上粕屋790に鎮座する五霊神社の御祭神と同様である。

また、当社ほど近く、上粕屋3103にも五霊神社があり、この上粕屋3103のものがもとの秋山御霊神社とも。

なお、この秋山御霊神社は藤沢市宮前の村岡御霊神社の説明に出てくる「伊勢原市上粕谷、下粕谷」の御霊神社のどれかか。

下粕谷という地名はなく、下糟屋のことかもしれないが、下糟屋に該当しそうな神社はない。上粕谷には、先の上粕屋790鎮座の五霊神社を含め、五霊神社が複数ある。

現社殿は、本殿が向拝軒唐破風付きの柿葺き三間社流造、桁行3.47メートル。江戸時代中期の建築と推測されている。

鐘楼には、『新編相模国風土記稿』記載のものより新しい江戸時代後期の天保11年(1840年)銘の鐘がかかっていたが、戦時供出によって失われ、現在は昭和41年(1966年)鋳造。

境内社に、八坂社・天王社がある。市指定保存樹木として、クス(指定番号14)、イチョウ(指定番号15)、ケヤキ(指定番号18)の木がある。

本殿裏には寛文10年(1670年)の日向石製の石祠型庚申塔がある。正面には、青面金剛を表すキリーク、「庚申供養」「奉神社」などが彫られている。

拝殿向かって左の八坂社の側には、寛文8年(1668年)建立の石灯籠型庚申塔がある。摩耗と欠損が進んでおり、竿部のみ。

境内を出て、西側の社務所に年代不詳ながらやはり石灯籠型庚申塔がある。寛文8年のものと形式が同じのため、一対の石灯籠とも考えられている。

例祭は4月3日で例大祭。比比多神社の神主の祝詞により、家内安全と豊作祈願が行われる。

境内や参道には屋台が立ち並び、周辺民家の玄関には「御神灯」と書かれた行灯がかかる。夜には、相模里神楽垣澤社中により神楽が上演される。

【ご利益】
家内安全、地域安全、病気平癒
上粕屋神社 神奈川県伊勢原市上粕屋
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