平安末期に頼朝側の砦の巽に奉斎、第六天神社・第六天魔社
赤城神社 神奈川県川崎市高津区上作延210
[住所]神奈川県川崎市高津区上作延210
[電話]044-977-5639 - 白幡八幡大神

赤城神社(あかぎじんじゃ)は、神奈川県川崎市高津区上作延にある神社。近代社格では村社。白幡八幡大神の兼務社である。御朱印の有無は不明。

平安時代末期の元暦元年(1184年)、舛形山城主稲毛三郎重成が源頼朝の命を受け、当地に砦を築いた際、巽の方角にあたる当地に第六天神社として創建した。

現在では第六天魔社とも。鎌倉時代初期の建久4年(1193年)、那須野原の巻狩に従った重成がある夜、上州赤城山の霊夢を見た。

ただし、本務社の白幡八幡大神では、霊夢を見たのは頼朝だったとする。

ともかく、帰城の後、磐筒雄命を奉じて、この第六天神社に奉斎して、社名を赤城大明神(赤城社)と改称した。鎌倉時代中期の寛元元年(1243年)には近隣17郷の氏神と尊称された。

安土桃山時代の文禄3年(1595年)、武州八王子で戦死した三田筑後の末裔である三田本家を中心とした一族によって奉祀が行われるようになった。

江戸時代前期、伊勢講の一派が当社を離脱、その一派が創立したのが、やはり上作延に鎮座する神明神社である。

江戸時代後期の『新編武蔵風土記稿』上作延村の条に「赤城社」とあり、「村の東にあり本社一間四方前に七級の石階ありて其下に拝殿あり、三間四方にして南向なり」。

同書には離脱した神明神社は記載されていない。同書では、当社が村の鎮守だったといい、御神体は「毘沙門を本地として祀れり、其像長二寸許にして立身なり」。

別当は延命寺だった。さらに同書では、特に「社前に畑あり近き頃古鏡一面を掘出せり、年代は知ざれど尤古色と見ゆ」と記載している。

明治6年(1873年)12月、村社に列し、後に現社号に改称した。氏子区域は高津区上作延。現在の境内案内では、御祭神に天照皇大神も掲げられている。

例祭は9月第4日曜日で例大祭。江戸前期の分派は関係ないようで、現在は神明神社と同日。本務社の都合か。元旦祭が1月1日、七五三が11月15日に近い日曜日。

【ご利益】
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赤城神社 神奈川県川崎市高津区上作延
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