日本唯一の潮霊祀る社、朝廷に献上した神塩、安産、おまんとと神楽
[住所]愛知県知多郡東浦町大字生路字森腰67
[電話]0562-83-3016

伊久智神社(いくじじんじゃ)は、愛知県知多郡東浦町生路にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建年代は不詳。古代祭祀の場に鎮座しているといい、起源は古い。町内最古の式外社を称する。熱田の神領として栄えた生道郷に祀られ神。

社伝には、「生道郷に白髪の老翁、我は塩土老翁也と宣ひ、海潮を煮て塩を製する事を教え給ふ…神塩浜則鎮座」とあるという。

『延喜式』主計式巻二十四に、尾張国の項で13種の繊維製品を調の品目として書き並べた後に、「生道塩一斛六斗与調塩共進自余輸絹絲塩」とある。

尾張国より調塩と一緒に「生道塩」を京進した。普通の塩でなく、神塩田で製した特別な神塩だった。その後、白糖、木綿が生まれ、生道郷は三白(さんぱく)発祥の地とも。

日本唯一の潮霊(しおだま)を祀るという。地元では「鹽竈さん」として親しまれた。生道・生路の地名は、生命の導きの神を祀る当社に由来するという。

室町時代の享徳3年(1454年)、長坂近江守などが、社殿を修造した記録がある。

江戸時代には名古屋城や尾張、三河の各所より行列をなして、安産祈願、諸祈願に参拝があったことが古文書に記載されているという。

明治5年(1872年)、政府の命により、地区は生路、神社は万葉仮名で現社号に改められた。『和方薬集成書』にある陣痛時や産後に飲む伊久智乃薬にちなむ。

御祭神は、本殿に塩椎神(塩土老翁)と木花之開耶姫命を祀る。東之脇社に天照大神、西之脇社に建速須佐之男命大山積神・道祖神・応神天皇菅原道真公を祀る。

以上8柱を総称して生道大神。昔は八剣大明神(八剱大明神)とも。社紋は五七桐竹。例祭は現在、9月第3日曜日。おまんと祭りで、東浦町おまんと祭りの一つ。7月下旬には夏祭りが行われる。

また、境内の神楽殿では神楽が奉納される。生路地区に伝わる二つの流派、伏見流(南組)と朝日流(北組)で、記録上、江戸時代後期の天保3年(1832年)に奉納とある。

その後、この神楽の習得を目指し、近郷の村々の人々が当社に詣で、各地に広まった。町内の藤江・緒川・森岡はもとより、半田市や阿久比町などでも行われた。

昭和12年(1937年)、日中戦争が始まると、南北両組が交代で一日も欠かさず、仲間の無事を祈り奉納したという。

現在も幕末の慶応3年(1867年)に購入した太鼓を使って練習している。現在は保存会が結成され、町指定民族芸能。

社殿北側一帯に拡がる社叢を大楠の森と呼び、樹齢数百年を数える楠の大木が並ぶ。町指定天然記念物。境内には、楠之御前社があり、腫物・痔疾平癒の大楠大神が祀られている。

境内社として、秋葉社・金刀比羅社がある。この両社では、近隣の9社を合祀、その後祟りがあったとして、3社が復社したため、合祀社は6社になっている。

古来、塩を造る工程で使う竈の底に敷いた鹽竈石(しおがまいし)が残る。病気平癒の御利益があり、現在も参拝に体の痛い処を鹽竈石で撫でる信仰がある。

境外社として、運動山と呼ばれる富士塚、当社家の塚である権太夫塚、下屋敷の神である生道井、西島屋敷の神で、神塚とも呼ばれる上塚社、塚腰屋敷の神である天満社がある。

当社の北東100メートルほどのところに、小さな社殿と井戸がある。日本武尊がここへ猟に来て、喉が渇いたので、弓のはずで岩を突くと、水が沸きだしたという。

この井戸水が流れるあたりは「井の口」と呼ばれ、そこから「井路」の名が起こり、この井戸は「生路井」といわれるようになった、ともいう。

なお、当社は町内の藤江神社稲荷神社を兼務している。

【ご利益】
安産、病気平癒、無病息災、身体壮健(公式HP
伊久智神社 愛知県知多郡東浦町
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