鎌倉の鬼門の十三塚に宮前村岡を勧請、隣は田谷の洞窟の定泉寺
御霊社 神奈川県横浜市栄区田谷町1506
[住所]神奈川県横浜市栄区田谷町1506
[電話]045-581-2298 - 杉山神社

御霊社(ごれいしゃ)は、神奈川県横浜市栄区田谷町にある神社。御霊神社とも。近代社格では村社。現在は杉山神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。遠く源義家の家臣として勇猛の聞えの高かった鎌倉権五郎景政の霊力を慕い、鎌倉幕府の鬼門の方角に当る当地に建立されたとも。

そうなれば、創立は鎌倉時代。ともかく、長尾郷田谷邑の鎮守で、田谷御霊社とも、田谷御霊神社とも。藤沢市宮前に鎮座する村岡御霊神社を御分霊したという。

御祭神は鎌倉権五郎景政様。神奈川県神社庁の表記そのままだが、御祭神名に「様」がついているのは珍しい。

江戸時代後期の天保5年(1834年)に社殿再建の棟札が現存しており、隣接する定泉寺とともに古くより現在地に鎮座し、田谷町民の崇敬社となっいるという。

ただし、定泉寺の開基は戦国時代の天文元年(1523年)とも。そこには瑜伽洞(ゆがどう)という田谷の洞窟がある。

鎌倉時代前期の建暦3年(1213年)、和田合戦で敗れた朝比奈義秀が逃げ込んだ洞窟と伝えられている。

また、当社は字十三塚に鎮座する。鎌倉時代末期、鎌倉北条氏を攻めた新田義貞兄弟によって、鎌倉幕府は滅亡した。

その際逃げた兵士が当地で切腹し、その霊を供養した13人の武将の墓の伝説がある。今は1基残るのみ。また一説に、伝説の時期として、戦国時代の後北条氏滅亡時とも。

当社の例祭は9月第2日曜日。境内には、金木犀(キンモクセイ)の木、銀杏(イチョウ)などの木々が育っている。

天照皇大神、日吉社、石祠が祀られている。古木の根元に小祠がある。「支那事変 大東亜戦争 忠霊碑」「明治参拾七八年 戦役 凱旋記念碑」などの碑がある。

大正12年(1923年)4月造立の狛犬がある。関東大震災の4ヶ月ほど前であり、造立されたばかりのこの狛犬も地震発生のその日にはその激震を感じたことだろう。

【ご利益】
諸願成就、方除け、武運長久・勝運
御霊社 神奈川県横浜市栄区田谷町
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