式内「麻能等比古神社」も主張せず、江戸期創立の富田の氏神
[住所]徳島県徳島市明神町6-2
[電話]088-654-4788
大麻比古神社(おおまひこじんじゃ)は、徳島県徳島市明神町にある神社。通称は明神さんで、それがそのまま地名になっている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
東富田に鎮座するため、富田大麻比古神社とも。鳴門市に鎮座する阿波国一宮の神社と同字だが、読みが違う。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 名方郡「麻能等比古神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
ただし、当社の公式サイトでも、徳島県神社庁の紹介でも、いずれも江戸時代の創立としており、式内社を主張していない。
江戸時代前期の承応2年(1653年)12月に創立した。伊予より阿波に来住し、蜂須賀氏に仕えた河野忠左衛門の倅である河野彌吉郎が、名東郡一宮の山中で御神体を見つけた。
これを河野家の鎮守として、この地に祀ったのが始まり。江戸時代中期の宝暦8年(1753年)、京都の吉田神社より大麻比古大明神の神号を受けた。
当社を式内社とみた場合、彌吉郎(あるいは後述の彌吉)により、廃れていた式内「麻能等比古神社」が復興した、とみる。他の論社もない。
別に、富田浦町に、貧乏だが正直者の彌吉という者がおり、ある時、猿田彦の像を買い取り、何回売っても、必ず手元に戻ることから、近くにあった当社に合祀した、とも。
どちらにしろ、江戸時代には「彌吉明神」とも呼ばれたが、明治3年(1870年)、現社号に改称、村社に列した。御祭神は猿田彦命。
例祭は10月22日で例大祭、秋祭り。7月22日が夏祭りで湯立て祭。1月15日におしめはやし・粥占神事、4月22日に太々神楽祭、7月第1日曜日に雛形流しがある。
社殿の左右に境内社が多く、右側には歳徳神社、伊助大明神、九郎兵衛大明神が、左側には楠大明神、和霊神社、稲荷神社、天神社、弁財天などがある。
【ご利益】
交通安全・厄除け・商売繁盛・家内安全・方除け・旅の安全など(公式HP)
【関連記事】
・徳島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、徳島県に鎮座している神社の一覧
[電話]088-654-4788
大麻比古神社(おおまひこじんじゃ)は、徳島県徳島市明神町にある神社。通称は明神さんで、それがそのまま地名になっている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
東富田に鎮座するため、富田大麻比古神社とも。鳴門市に鎮座する阿波国一宮の神社と同字だが、読みが違う。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 名方郡「麻能等比古神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
ただし、当社の公式サイトでも、徳島県神社庁の紹介でも、いずれも江戸時代の創立としており、式内社を主張していない。
江戸時代前期の承応2年(1653年)12月に創立した。伊予より阿波に来住し、蜂須賀氏に仕えた河野忠左衛門の倅である河野彌吉郎が、名東郡一宮の山中で御神体を見つけた。
これを河野家の鎮守として、この地に祀ったのが始まり。江戸時代中期の宝暦8年(1753年)、京都の吉田神社より大麻比古大明神の神号を受けた。
当社を式内社とみた場合、彌吉郎(あるいは後述の彌吉)により、廃れていた式内「麻能等比古神社」が復興した、とみる。他の論社もない。
別に、富田浦町に、貧乏だが正直者の彌吉という者がおり、ある時、猿田彦の像を買い取り、何回売っても、必ず手元に戻ることから、近くにあった当社に合祀した、とも。
どちらにしろ、江戸時代には「彌吉明神」とも呼ばれたが、明治3年(1870年)、現社号に改称、村社に列した。御祭神は猿田彦命。
例祭は10月22日で例大祭、秋祭り。7月22日が夏祭りで湯立て祭。1月15日におしめはやし・粥占神事、4月22日に太々神楽祭、7月第1日曜日に雛形流しがある。
社殿の左右に境内社が多く、右側には歳徳神社、伊助大明神、九郎兵衛大明神が、左側には楠大明神、和霊神社、稲荷神社、天神社、弁財天などがある。
【ご利益】
交通安全・厄除け・商売繁盛・家内安全・方除け・旅の安全など(公式HP)
【関連記事】
・徳島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、徳島県に鎮座している神社の一覧
コメント