もと海に突き出た半島、義経も祈願、杉尾大明神、10月に勇み屋台
[住所]徳島県徳島市勝占町中山26
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勝占神社(かつらじんじゃ)は、徳島県徳島市勝占町中山にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「勝占神社(阿波国・勝浦郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。中山という65メートルの小丘の中腹に鎮座する。古代には、この中山は海に突き出た半島で、当地は、出雲系海人の支配した土地だったという。

一帯は往古から「恥づかしヶ峯」と呼ばれ、長ノ国祖神一族が眠る陵墓群であると伝承されている。実際附近には、徳島最大の渋野古墳がある。

長ノ国祖神ということでいえば、阿南市長生町宮内には八桙神社があり、勝浦郡勝浦町沼江には生夷神社がある。

当社の御祭神は大己貴命。現在までに事代主命須勢理姫命少彦名命玉櫛姫命大山祇命を配祀している。

爾来、中山をとりまく篠原郷篠原庄の氏神となり、古くは領主たる京都仁和寺より神田7町5反の寄進があったという。

平安時代末期、平家の重鎮である田口一族の尊信を集め、元暦元年(1185年)3月10日、屋島へ向かう途中の源義経が、当社へ参拝し、武器を奉納した。

義経が参拝した理由として、「勝を占める」という社号の縁起を気に入り、これにより士気を鼓舞したとの伝説もある。

あるいは蒙古来襲の国難に当たって、当国代官司の必勝祈願があり、弘安4年(1281年)正月に造営の記録が残る。

戦国時代末期の天文19年(1550年)5月には阿波国守護細川持隆が社殿を建立したという。

江戸時代になり、本殿北の脇社だった金比羅祠は、徳島藩祖蜂須賀家政の懇請で城府鎮護のため、二軒屋の勢見に遷宮した。

家政ら三代の社参があり、江戸時代後期の享和2年(1802年)12月には11代徳島藩主蜂須賀治昭が造営したという。

近世を通じて、杉尾神社(杉尾大明神)と称し、素盞嗚尊を祀ったとも。明治になり、郷社に列し、明治8年(1875年)には現社号に復称。

秋の例祭は10月10日。現在は10月上旬の日曜日に行われているようだ。古くは勝占地域の近隣6町から集い、盛況時は勇み屋台3台が競い合い、勇み屋台を宙に舞わせたという。

現在も神楽屋台、勇み屋台の担ぎあげが行われており、多い時では50回も放り上げられ、市内でも有名な祭りとして定着している。

境内社に、松熊大明神、金比羅宮、袋振宮、秋葉神社、地神社などがある。ちなみに、過去に杉尾大明神と呼ばれ、境内に松熊社がある神社に、八倉比売神社がある。

【ご利益】
武運長久・勝運、産業振興、病気平癒
勝占神社 徳島県徳島市勝占町
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