道灌勧請の二簸川社、多田神社とともに旧雑色村の鎮守、神明を合祀
[住所]東京都中野区弥生町4-27-30
[電話]03-3381-7629

神明氷川神社(しんめいひかわじんじゃ)は、東京都中野区弥生町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

室町時代の文明元年(1469年)、太田道灌による千代田城(後の江戸城)築城の際、城砦鎮護のため、大宮氷川神社の御分霊を勧請、創祀した。

御祭神は素盞鳴尊。この時、同様に本郷村に勧請されたのが氷川社で、当社と氷川社は俗に「二簸川社」と呼ばれた。

以来、両社への太田家による崇敬は篤く、例大祭には幣帛の寄進があったという。

江戸時代には旧雑色村字川島の鎮守として崇敬された。『新編武蔵風土記稿』雑色村の条にも「氷川神明合社」と記載され、「東北の方小名川嶋にあり」などとある。

同書によれば、「例祭9月28日。前にある多田権現と隔年に祭る」とある。近隣の多田神社と深い関係にあったようだ。また、別当は正蔵院だった。

社地の北方を流れる神田川の河畔から神明社が遷座・合祀された。この神明社は社地一帯の旧町名である神明町の起源で、隣接する小学校名などに残っている。

江戸時代後期の弘化・嘉永年間(1844年-1853年)、正蔵院住職だった岸祐宜により、社殿の改築、整備が行われた。

現在までに相殿に、大日孁命櫛稲田姫命事代主神大山祇神を祀る。

明治7年(1874年)4月、村社に列した。明治12年(1879年)9月、石鳥居が建立されたが、大正12年(1923年)の関東大震災で破損した。

大正15年(1926年)に権現造り銅板葺き社殿、昭和6年(1931年)に神楽殿と社務所が整備された。

この際の社殿整備で、昭和2年(1927年)に枯死した道灌植栽と伝わった老杉二株が使われたという。

昭和9年(1934年)9月16日、先述の破損した鳥居に代わり、現在の明神鳥居が建立された。

昭和20年(1945年)5月25日の空襲により焼失した。戦後、仮社殿が造営され、昭和33年(1958年)9月には本殿が竣功、現社殿・神楽殿が整えられた。

昭和58年(1983年)、境内外周の玉垣が作り替えられた。例祭は8月第4日曜日。2月3日は節分祭で、境内において豆まきが行われる。お囃子連として、「弥生ばやし連」がある。

また、茅の輪神事も行われる。境内は、欅や椎が鬱蒼とした鎮守の森を形成しており、区の保護樹林に指定されている。

境内には、お百度参りと深い関わりを持つ「百度石」がある。大願成就の報恩として建てられたと考えられている。

また、明治24年(1891年)に奉納された燈籠がある。火袋は花頭窓様に作られ、華麗な竜や雲、虎などの彫刻が施され、区内現存で最も装飾性の豊かな燈籠とされる。

社殿両脇に一社ずつ境内社がある。向かって左には津島神社(牛頭天王・宇賀大神・稲荷大神)で、旧御本殿を移設したという。社前に明治24年4月奉納の狛犬がある。

向かって右が御嶽神社(櫛眞知大神)。ほかの境内社に、表参道を入った左脇に鎮座する、社殿のない磐座の形式の三光麟神社、宗像神社・大國魂神社の合祀殿がある。

宗像神社は多岐理姫多岐津姫市岐島姫宗像三女神、大國魂神社は大國主神が御祭神として祀られている。

弥生町2-19-4に境外末社として、藤神稲荷神社がある。創建は不詳だが、旧川島村の鬼門を護る神として、古くから祀られているという。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、開運招福、家内安全
神明氷川神社 東京都中野区弥生町
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