日本武尊と御蔭杉、妃にちなんだ美女ヶ森、9月に大規模な獅子練り
[住所]長野県駒ヶ根市赤穂11475
[電話]0265-83-7606

大御食神社(おおみけじんじゃ)は、長野県駒ヶ根市赤穂にある神社。近代社格では郷社。現在は大宮五十鈴神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。

創建年代は第12代景行天皇朝とされるが、現在3代目の古杉の御神木(御蔭杉)が祀られ、このスギは建御名方命が愛でたとも伝わる。神話の時代からの聖地。

日本武尊が東国平定の帰路、信濃国赤須の里に滞在した。その時、赤須の里の長である赤須彦は御影杉のもとに仮宮を立て、日本武尊を饗した。

特にアワの餅が気に入り、日本武尊は「おいしい、おいしい」とたくさん食べたと伝わる。そこで、赤須彦は日本武尊より御食津彦の名を賜った。

また、日本武尊は赤須彦の娘である押姫を愛で、赤須の里に三夜滞在したと伝わる。以来、赤須彦の子孫である神官宅は「采女邸(うねめやしき)」と呼ばれるようになった。

江戸時代後期の天保3年(1832年)、『宮田村誌』「駒ヶ嶽御尋書」には、日本武尊に関する当地の伝説を下記のように記載している。
日本武尊が大田切川まで来た時、大水で渡ることが出来なかったが、一頭の馬が馳せ来たので、その馬に乗って無事川を渡った。

古老はその馬を、秋冬はこの原に住み、春夏は西山に住む神馬だと申し上げた
その時、日本武尊が腰をかけ休んだという「御座石」が、宮田村駒ヶ原に文化財として残っている。

景行天皇48年(同天皇58年とも)、赤須彦は日本武尊を祀り、当社を創建した。当社と赤須彦の館があった場所との間に、現在「湯奉(ゆぶ)の沢」という地名が残る。

この地名は、江戸時代前期の慶安2年(1649年)の御検地帳にも記載されており、日本武尊が湯浴みをしたと伝わる。

なお、赤須彦は高皇産霊神思兼神に始まる神々の系譜に繋がり、これが代々の宮司の祖となるという。

第14代仲哀天皇の皇后で、摂政の神功皇后4年、御神木の御影杉が枯れた。翌神功皇后5年春、中枝の大虚に育った実生のスギの植継を行った。

第15代応神天皇38年、熱田ノ宮より草薙ノ剱の御霊代とともに、日本武尊の妃である宮簀姫命の御神霊を迎えた。

平安時代前期の斉衡3年(856年)5月、2代目御蔭杉が枯れたため、天安2年(858年)春、植継ぎが行われた。現在の御蔭杉はこの3代目であるという。

この際、氏子百数十人により七日七夜歌い舞の宴を張り、大祭が斎行されたと伝わる。ただし、現在の御蔭杉は実際には樹齢300年程度とも。

また、元慶3年(879年)、石清水八幡ノ宮より八幡大神の御神霊を迎えた。現在は相殿に祀られている。

平安時代末期の久安5年(1149年)、社殿を建て替え、遷宮した。また、西行が社家に立ち寄り、書を残している。

江戸時代後期の旅行家菅江真澄の随筆『すわの海』に、西行のこの書についての記述がある。実際、西行の真筆として、当社に保管されている。

現在の本殿は三間社流造、幕末の元治元年(1864年)に建替えられたもので、棟梁は斉藤常吉、彫工は立木音四郎。

明治5年(1872年)、郷社に昇格し、昭和42年(1967年)には神社本庁より献幣使参向指定神社となった。

神代文字(阿比留草文字)で書かれた「美しの杜社伝記」が伝えられている。景行天皇から村上天皇の天暦5年(951年)まで、およそ840年間が桐板に記されている。

現在氏子らは当社を「美女ヶ森(びじょうがもり)」と呼んでいるが、「美しの杜」の名は、社伝記によれば、御祭神の宮簀姫(厳郎姫・五郎姫とも)にちなむという。

他に、平安時代作の日本武尊の木彫立像、江戸時代中期の寛延3年(1749年)飯田仏師・井出右兵衛運正作の日本武尊・八幡神・宮簀姫(五郎姫)木彫座像がある。

旗本である近藤織部祐が献納した大陣太鼓、元禄11年(1697年)に下平村堀内兵次八が寄進した石狛犬、享保4年(1719年)の石灯籠、文久6年(1864年)などの灯籠がある。

例祭は9月21日。現在は直近の休日に斎行されている。数百人に達する、獅子練りが有名で、祭典の中心祭事とされ、毎年、年番耕地の若衆が取り組む。

お練りは、氏子がおかめ・ひょっとこなどと悪魔払いの獅子の機嫌を取りながら当社にお詣りをし、最後に獅子の頭を切り取り奉納する。

この行列に神主は同行せず、祭神三種の名を書いた幣束を捧げた少年3人(現在は大人)が裃を着用し、陣笠を頂いて加わっている。

市内では、大宮五十鈴神社でも獅子練りがほぼ同時期、当社に遅れること数日後に行われ、市内の両氏神による祭典として、盛り上がる。

境内社は、産土神である御渡社(建御名方命・橘姫命・上古地主神)、御継社(伊弉諾命伊弉冉命天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)など、下記のように多数ある。

・天神社(菅原道真
・伊雑社(天照大神
・稲荷社(豊受姫神
・秋葉社(迦具土神
・若宮社(佐賀喜霊神)
・諏訪社(建御名方命)
・御食津彦社(八意思兼尊・御食津彦など)
・植継社(植継大明神。吾道赤須彦)
・二木社(日本岐社。天之御中主神・六孫王経基)
・山神社(大山祇神
・山の鼻社(建御名方命)
・富士社(木花咲耶姫命
・真澄神社(大山祇神)

さらに二木社の境内社として、社宮司社・神若衆社・甲子社・齊殿社・清和荒神社が、山の鼻社の境内社として、金比羅社・山神社・利生稲荷社が祀られている。

ちなみに、御渡社の橘姫命は不詳。産土神で、建御名方命と並んで祀られていることから考えれば、八坂刀売神かもしれないが、八坂刀売神を橘姫命と表記する例はないと思われる。

通常、橘姫命とすれば、弟橘姫命、つまり当社本社御祭神の日本武尊のもう一人の妃のこと。であれば、特に現在は別の妃との愛の社になっているところに別の妃を産土神として祀っていることになる。

【ご利益】
無病息災、身体壮健、夫婦和合、家内安全、厄災除け
大御食神社 長野県駒ヶ根市赤穂
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