大国主神が実際に蘇った地、殺害の大岩を祀る、日本唯一の再起の神
[住所]鳥取県西伯郡南部町寺内字久清
[電話]0859-64-2102

赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)は、鳥取県西伯郡南部町寺内にある神社。近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『古事記』はもとより、『先代旧事本紀』にも記載のある、因幡の白兎の神話の続きの説話の舞台となった場所である。

大正6年(1917年)、現在地に創建された久清神社と、南部町内にある要害山山頂にあった赤猪神社が、大正9年(1920年)に合祀され、現在の当社となった。

大穴牟遅神(後の大国主神)の兄弟八十神は、白兎の予言通り八上比売と結婚した大穴牟遅神を憎み、殺してしまおうと企んだ。

そこで、大穴牟遅神を伯耆の手間山本へ連れて行った。そして「珍しい赤い猪を山の上から追い立てるので下で捕まえろ。そうしなければ殺す」と言いつけた。

山の麓で待たせている大穴牟遅神に目掛けて、八十神は火で真っ赤に焼いた岩を山の上から落とした。

大穴牟遅神は、転がり落ちてくる真っ赤な岩を猪として受け止めようとした。しかし、身体がたちまちその赤く焼けた岩膚にこびりつき、焼き潰されて絶命してしまう。

これを知った大穴牟遅神の母である刺国若比売は嘆き悲しみ、高天原に上り神産巣日之命に救いを求めたところ、赤貝の神・𧏛貝比売と蛤の神・蛤貝比売の2柱の女神が地上に遣わされた。

𧏛貝比売が貝殻で大穴牟遅神の身体を岩からはがし、蛤貝比売が母乳と清水井の水で練った薬を大穴牟遅神の体に塗りつけた。

すると大穴牟遅神は大火傷がただちに治り、もとの麗しい姿となって息を吹き返した。一説に、「女性の力無くして男性の成就は無い」ことを示す説話だともいう。

当社の前身である赤猪神社の創立年代は不明であるが、当社の地がこの説話の舞台とされ、大穴牟遅神を焼き潰し殺したとされる岩が実際に祀られている。

その岩は「災厄の元凶」として、地上を穢さないよう、土中に深く埋められ、大石で幾重にもふたがされており、その周りには柵が巡らされ、注連縄が張られている。

また、蛤貝比売が薬を練るために水を汲んだ清水井と言い伝えられている泉が、当社から徒歩30分の所に存在する。

この一度目の死と復活を経て、大穴牟遅神はやはり八十神の迫害により、二度目の死に遭う。しかしまた復活する。その舞台が日南町の大石見神社

現在までに当社は、大国主命を主神とし、母神の刺国若比売命、素盞嗚尊、さらに稲田姫命を合祀している。例祭は春が4月5日、秋が10月5日。

由緒から、日本唯一の「甦り」の神社ともされ、現在に至るまで蘇生・再生・復興(昇運)、そして再起の神として、県内はもとより全国より信仰されている。

【ご利益】
再生・復興・再起、病気平癒
赤猪岩神社 鳥取県西伯郡南部町寺内
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