旧荏田村の総鎮守、昏倒した商人を大蛇から助けた刀剣伝承
劔神社 神奈川県横浜市青葉区荏田町822
[住所]神奈川県横浜市青葉区荏田町822
[電話]045-941-3302

劔神社(つるぎじんじゃ、劍神社)は、神奈川県横浜市青葉区荏田町にある神社。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。『新編武蔵風土記稿』荏田村の条に「劔社」とあり、「村の中央榎木谷にあり、劔明神と號す、當所の惣鎮守なり」とある。

荏田村の総鎮守として崇敬されてきたが、社伝として、鍛冶と商人と大蛇に関する不思議な伝承が残されている。

昔、陸奥国より炭を商う者が鎌倉へ往来し、鍛冶のもとへその炭を売っていた。そうしたことがずっと続いた。

毎年売りに来てくれる商人に対して、それを謝して、鍛冶は自分が作った刀一口を贈呈した。商人は喜んでこれを持って帰国の途についた。

当地に来た時、疲れをいやすために、溢れる泉を手ですくって飲むと、酒に酔ったように、その場で昏倒した。

その側にあった松から大蛇が現れ、その商人を呑み込もうとした時、商人が持っていた刀が自ずから抜き出て、蛇を切り殺した。

商人はこれに感謝して、その刀剣を祀り、劔明神と号したという。江戸時代前期の寛文12年(1672年)2月、江戸時代後期の文化4年(1807年)に社殿の改築がなされた。

かつて当地には、宿谷戸赤城社、小黒谷戸神明社、同八幡社、柚木谷戸熊野社、渋沢谷戸十二社の五社の谷戸宮が鎮座し、四谷戸が年番で祭礼を執行していた。

その後、大正3年(1914年)、これら四谷戸5柱の大神を当社に合祀し、大正11年(1922年)、当社は神饌幣帛供進社に指定された。

この五社も『新編武蔵風土記稿』にそれぞれ「八幡社」「赤城社」「熊野社」「十二社」「神明社」と記載されている。当社も含め、いずれも別当は観福寺だったという。

この中で、八幡社には、江戸時代初期の元和(1615年-1624年)の文字が残る棟札があり、義家朝臣の矢根、荏田源三ゆかりとも伝えられた。

当社の現存する拝殿は明治27年(1894年)に、奥社は昭和46年(1971年)にそれぞれ建立されたものである。昭和60年(1985年)10月の改築記念碑がある。

御祭神は素盞鳴尊。例祭は10月7日で例大祭、秋祭り。文化9年(1812年)に奉納された手水鉢がある。他に、神楽殿がある。

なお、当社は市内都筑区茅ヶ崎中央同中川同勝田町緑区寺山町同三保町同鴨居同中山町神奈川区菅田町の杉山神社や、本郷神社などを兼務している。

【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、地域安全、家内安全
劔神社 神奈川県横浜市青葉区荏田町
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