平安末期に領主が夢のお告げで日本武尊と妃を奉斎、複数の御神木
[住所]神奈川県横浜市青葉区しらとり台61-12
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神鳥前川神社(しとどまえかわじんじゃ)は、神奈川県横浜市青葉区しらとり台にある神社。近代社格では村社。恩田地域で唯一神職が常駐している神社である。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代末期の文治元年(1185年)3月、武蔵国桝形城主だった稲毛三郎重成が創建したと伝わる。

重成は敬神の念篤く、所領稲毛に稲荷社を建立するとともに、霊的な夢のお告げを受け、武神日本武尊とその妃弟橘比売命を御祭神としてこの地に祠を建てたという。

もとは白鳥前川社と称したが、いつからか白鳥が転じて神鳥と書くようになり、これを「しとと」あるいは「しととり」と呼ぶようになった。

以来、武門・武家の崇敬が厚く、現在当社に面する田奈町の小字「馬場」という地名は、その寄進による馬場の跡だと伝えられている。

古い文献には「神鳥 前川 両神社」のように神鳥(しとど)と前川(まえかわ)を分けた記述もあり、現在の拝殿の額にもそう刻まれている。

神鳥社が日本武尊を、恩田川のことを指すと考えられている前川の社には弟橘比売命を祀ったと考えられている。

安土桃山時代の天正10年(1582年)、火災により社殿が焼失し、当時この地を治めていた上杉謙信の子である上杉影虎が社殿を新しく建立、寄進した。

さらにその際、毎年春秋の上納金より3貫文を社料として免租したという。その内容が記された古文書が残されているという。

旧本殿はその後に再建されたもので、現在は境内社の八坂神社(素盞嗚尊)・伏見稲荷神社(宇迦之御魂大神)として祀られている。

拝殿と覆殿は江戸時代後期の文化9年(1812年)、当時の地頭だった岡本玄治法眼をはじめ、橋本、船橋宋迪、朝岡、星合鍋五郎などの寄進で再建されたもの。

『新編武蔵風土記稿』恩田村の条にも「神鳥前川合社」とある。「神體は不動にて秘物なりと云、本社の左りの方に宮守の庵を置く」とあり、別当は萬福寺だった。

なお、現在の境内社である八坂神社についても、『新編武蔵風土記稿』に「末社天王社。本社に向ひて右の方にあり」の記載がある。

明治43年(1910年)12月23日、無格社神明社(伊弉諾尊伊弉冊尊)を合祀した。この神明社は『新編武蔵風土記稿』にも記載されている。

この合祀に際し、拝殿が手狭になるため、本殿を拝殿と別棟の覆殿下に収め、同時に玉垣・舞殿・社務所などの改修を計画、着工した。

しかし覆殿の造営が予定通りには完成せずに終わり、その後昭和29年(1954年)、茅葺屋根を腐食防止のため金葺にする工事が施された。

昭和63年(1988年)5月、現在の社殿の建設・遷座が行われ、現在に至っている。境内に安置されている狛犬は平成2年(1990年)4月に奉納されたもの。

神楽殿の左隣に、注連縄を張った大きなムクロジの木がある。この木は「守り実の無患子(むくろじ)」と呼ばれ、無病息災の守りとして祀られている。

また、拝殿の右側境内の端には樹齢220年のカヤの御神木がある。さらに、樹齢230年の桜の木も御神木として祀られている。

拝殿の前には、江戸時代後期の天保10年(1839年)から伝わる大幟(のぼり)を掲げる幟棹がある。初詣シーズンなどは「奉獻前川大明神」と書かれた幟が上がる。

例祭は10月9日の前の日曜日で例大祭。11月には三度にわたって酉の市が開かれる。7月15日には境内の八坂神社の祭典である天王祭がある。

なお、当社の兼務社に、区内あかね台の上恩田杉山神社住吉神社などがある。

【ご利益】
商売繁盛、開運招福、夫婦和合、家内安全(公式HP
神鳥前川神社 神奈川県横浜市青葉区しらとり台
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神鳥前川神社 神奈川県横浜市青葉区しらとり台の御朱印