江戸に移住した人々が祀った市場の神、神田神社境内に本殿
[住所]東京都中央区築地6-27 築地魚市場内
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魚河岸水神社遥拝所(うおがしみずじんじゃようはいじょ)は、東京都中央区築地の築地魚市場内にある遥拝所である。御朱印の有無は不明。

安土桃山時代の天正18年(1590年)、徳川家康の江戸入府とともに移住してきた日本橋魚市場の開祖である森孫右衛門ら摂津国の佃村・大和田村の漁師たち。

彼らが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して弥都波能売命を祀った大市場交易神がその始まりといわれている。その意味では、区内佃の住吉神社ともシンクロする。

この大市場交易神は神田神社で祀られ続けてきたが、明治になり、一時期、現在の区内日本橋本町の常盤稲荷神社に相殿神として祀られた。

その後、明治34年(1901年)、神田神社の境内に水神社の本殿が建立され、常盤稲荷神社から再び御神霊が移された。現在も神田神社の境内に魚河岸水神社がある。

日本橋魚市場は大正12年(1923年)の関東大震災を契機に、その後現在の築地に移転し、現在地に魚河岸水神社の遥拝所が建立された。

つまり当所の開設で、昭和10年(1935年)のこととされている。以来、築地魚市場の守護神として「水神さま」と称えられ、魚河岸会の人々の篤い崇敬によって大切に守られている。

この場所は、江戸時代は松平定信庭園跡で、明治維新後は海軍用地となり、境内にある「旗山」の碑は、日本海軍発祥のゆかりを記す貴重な史跡である。

なお、毎年2月には神田神社境内の水神社拝殿、御参拝が行われている。また遥拝所でも1・5・9月の年3回神事が執り行われている。

築地市場に足を運ぶ観光客の参拝も多い。ただし、魚市場の豊洲市場への移転が決まり、当所も移転することが決まっている。

平成27年(2015年)、波除稲荷神社の「つきじ獅子祭」で当社の大神輿が担がれた。当社神輿が担がれることはめったになく、25年ぶりのことともされた。

さらに、3年に一度の「つきじ獅子祭」本祭にあたり、波除稲荷神社の大神輿との連合渡御となり、「最初で最後」「歴史的瞬間」などともいわれた。

遥拝所のため、あくまでも必要なところに、遥拝に必要な施設があればいい、ということにはなる。市場が新しい場所に移転すれば、遥拝所も移転する。

ただし、当所は開設も80年を超え、独特の空間になっているとの評もあり、今後の築地の活用とも絡み、今後の当所の動向にも注目が集まる。

なお、当初は遥拝所ではあるが、当社が向いている方向には八丁堀鉄砲洲稲荷日本橋水天宮があり、特段、神田明神の水神社の方角に向かってというわけではない、という指摘もある。

【ご利益】
大漁満足、商売繁盛、海上安全、子孫繁栄
魚河岸水神社 東京都中央区築地
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