もとは江戸城鎮護、明治に場外へ、昭和に現在地に遷座
[住所]東京都八王子市裏高尾町957
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千代田稲荷神社(ちよだいなりじんじゃ)は、東京都八王子市裏高尾町にある神社。日之出弁天・千代田稲荷大明神とも。御朱印の有無は不明。

中央自動車道と首都圏中央連絡自動車道が交差する八王子ジャンクション(JCT)の南。高尾山の高尾梅林を代表する湯の花梅林と老人ホーム浅川清明園辺り。

山の中の小さな神社だが、石造りの鳥居と木造の赤い鳥居を通って、階段を登ったところが広場になっている。

室町時代の康正3年(1457年)、太田道灌が千代田城を築城した際、守護神として城内に祀ったのが当社の起源だという。

後に徳川家康が江戸入府、千代田城改め江戸城となり、その紅葉山に当社も祀られた。紅葉山では、三方が原の合戦以後加護を得た白狐の遺骨をも祀ったという。

歴代の将軍家にも鎮護の神として厚く永く敬われたが、明治維新の際、江戸城にいた女官である滝山により城外に遷された。

大正12年(1923年)の関東大震災まで、その子孫の邸閣に祀られたが、昭和4年(1929年)、神縁に導かれ、やはり紅葉山と呼ばれた当地に奉遷された。

境内掲示によれば、稲荷大神は伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の御祭神である豊受大神と同神だという。

平成25年(2013年)2月、拝殿が放火され、燃え跡のままになっている。境内には他に、日之出弁天(日の出弁財天)の他、種々の神仏が祀られている。

ちなみに、太田道灌‐徳川家康の流れを汲む千代田稲荷は、都内に二つあり、一つは渋谷区道玄坂の当社と同名の神社、もう一つは中央区日本橋小伝馬町の千代田神社

また、渋谷区道玄坂の神社の分社が秋葉原駅にほど近くの台東区台東にあり、やはり当社と同名の神社。また、同名の神社は、千代田区麹町5丁目にもある。

【ご利益】
開運招福、商売繁盛
千代田稲荷神社 東京都八王子市裏高尾町
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