鎌倉初期の草創、徳川家光が諸大名に参拝促す、南極探検「お砂守り」
[住所]東京都千代田区三崎町2-9-12
[電話]03-3261-1849

三崎稲荷神社(みさきいなりじんじゃ)は、東京都千代田区三崎町にある神社。JR水道橋駅の至近に鎮座する。金刀比羅神社を合祀しているため、三崎神社と通称される。参拝すれば、御朱印を頂ける。

鎌倉時代初期の寿永元年(1182年)、神田山(現 駿河台)の山麓(現 本郷1丁目)に武蔵国豊島郡三崎村総鎮守として創祀されたと伝わる。

江戸時代初期の慶長8年(1603年)2月、徳川家康により、潮入地埋立工事のため、社地を西三丁に遷座した。

3代将軍徳川家光が参勤交代の制度を定めた時、家光自ら当社を参拝、諸大名にも参拝を促したという。

それがきっかけで諸大名は参勤交代による江戸入りの際、必ず当社に参拝し、心身を祓い清めることが慣例となり、「清めの稲荷」と称されるようになった。

江戸時代前期の万治2年(1659年)、江戸城外濠神田川筋の堀割り工事のため、現三崎町2丁目北部の地に遷座した。

幕末の万延元年(1860年)、幕府講武所開設のため、旧水道橋西ぎわに遷座した。明治になり、大隈重信が海外へ渡航する際、旅の安全を祈願するため、当社に参拝したという。

甲武鉄道(現 JR中央線)が万世橋まで延長されたのに伴い、明治38年(1905年)、現在地に鎮座した。

明治時代に南極探検隊が南極へ行く際、当社の「お砂守り」を携帯したという。これは現在でも購入が可能。

神保町1丁目北部・神西・北神・神保町3丁目・西神田・西神田3丁目・三崎町1丁目・神田三崎町・一神が氏子になっている。

御祭神は、宇迦之御魂神素盞嗚尊大市姫神大物主神。例祭は5月5日。前日の4日には氏子9町会神輿の連合宮入があり、5日には宮神輿巡幸がある。

境内はそう広くはないが、この例祭時には、担ぎ手や神輿で境内が溢れる。境内には、大きなイチョウの木がある。

境内には百度石があり、その百度石には絵馬が結び付けられている。その絵馬にも百度石の絵が描かれている。

【ご利益】
旅行安全、交通安全、商売繁盛、厄災除け
三崎稲荷神社 東京都千代田区三崎町
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三崎稲荷神社 東京都千代田区三崎町の御朱印