武州柿生、もとは神明社、江戸後期に讃岐を勧請、平成再建
[住所]神奈川県川崎市麻生区王禅寺400
[電話]044-988-0045

琴平神社(ことひらじんじゃ)は、神奈川県川崎市麻生区王禅寺にある神社。武州柿生琴平神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

もともとは神明社で、創建年代は不詳だが、安土桃山時代の元亀元年(1570年)から祀られていると伝えられている。

徳川家康が関東鎮護、国土泰平の祈禱所としてしばしば参詣したという社伝があるという。

また、志村家に代々伝わる古文書によれば、江戸時代中期の正徳元年(1711年)以前に伊勢山の地に神明社があったことが記されている。

それによれば、王禅寺村が2代将軍徳川秀忠の正室である崇源院の御化粧料となり、祈祷所として当村鎮守大神宮を勧請し、毎年、伊勢踊・神事祭礼・湯立・神楽が行われた。

崇源院が他界の後、芝増上寺に寄進され、御仏殿料の地となって、寛永11年(1634年)以降、田畑納米192俵と定め、その他諸役が免除されたという。

『新編武蔵風土記稿』王禅寺村の条にも「神明社」とあり、「村の中ほどにあり、小祠なり、東向、まへに小なる鳥居をたつ、村持」などと記載されている。

江戸時代後期の文化元年(1804年)、芝増上寺御霊屋料25ヶ村名主取締役も兼ねた当社神主、志村文之焏は、16歳の時より讃州琴平宮の信心が篤かった。

以来、18度の参詣の後、ようやく素志を貫ぬき、本宮の御分霊を始めて関東に迎え、神明社の相殿に奉斎した。勧請年は文政9年(1826年)である。

こうして、神明社・琴平社の合社として再建され。主祭神は、天照大御神大物主神。柿生の琴平さん(かきおのこんぴらさん)として親しまれている。

昭和47年(1972年)以降、王禅寺東5丁目に参集殿、琴平社奥社、御札授与所、社務所、儀式殿、東屋などが次々に築かれた。昭和55年、現社号に改称。

平成19年(2007年)6月26日、放火により拝殿が焼失、拝殿天井には渡辺崋山(1793年-1841年)筆と伝えられる63枚の花鳥山水を描いた板絵があったが、これも焼失した。

しかし、本殿は蔵造りであったため、御神体・御神宝は守られ、儀式殿に仮遷した。平成23年(2011年)、再建され、6月に本殿遷座祭・本殿竣功奉告祭が斎行された。

例祭は10月体育の日で例大祭。1月15日にはどんど焼きが、2月3日には節分祭が、3月7日には人形和め祭がある。

境内には、文化元年の創建で、もとは王禅寺内にあった弁財天社(銭洗弁天)、群馬県の嬬恋稲荷総社(関東廿八ヶ國稲荷総社)から文政7年(1824年)に勧請した稲荷社がある。

この稲荷社は、弘化3年(1847年)に再建され、福寿稲荷大明神と改称、多賀社・塩釜社・稲荷社の三社を総称して、「お多賀さん」と親しまれている。

ちなみに、嬬恋稲荷総社は不詳。群馬県だと、日本七社冠稲荷神社がある。関東稲荷総社といえば、東京都北区の王子稲荷神社がある。嬬恋だと、東京都文京区に妻恋神社がある。

他に、境内には大黒様(大国主命)・戎様(事代主命)の石像が安置されている。

本殿の境内の手水舎を担った山伏姿の石像は「がまんさん」と呼ばれ、地域の人々の信仰を集めている。

なお、兼務社に横浜市緑区の西八朔町青砥町、青葉区の千草台みたけ台市ケ尾、都筑区の佐江戸の杉山神社、青葉区鉄町の鐵神社などがある。

【ご利益】
交通安全、開運招福、商売繁盛、病気平癒(公式HP
琴平神社 神奈川県川崎市麻生区王禅寺
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琴平神社 神奈川県川崎市麻生区王禅寺の御朱印