平安中期創建の蔵王さま、明治期に河内鍋の鍋宮大明神などを合祀
[住所]大阪府堺市美原区大保248
[電話]072-362-1859

廣國神社(ひろくにじんじゃ、広国神社)は、大阪府堺市美原区大保にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

創建は平安時代中期とされる。廣國押武金日命、つまり第27代安閑天皇を御祭神とする。当社名の由来でもある。相殿に天照大御神市杵嶋姫命を祀る。

旧太井村の鎮守として崇敬された。鎌倉時代末期の後醍醐天皇の御代、蔵王堂が建立され、仏の蔵王権現も祀る宮寺となった。本地水垂迹説に調和した形。

そのため、今も当社は蔵王さま、権現さまと呼ばれる。社前の池は蔵王池である。江戸時代中期の享保3年(1718年)、法幢院阿闍梨慈賢という高僧が社務を司ったという記録がある。

明治初年(1868年)、神仏分離令により、蔵王権現は太井に移り、民間により祀られている。運慶作と伝わる身丈5尺あまりの蔵王権現像が現存する。

一方で、石凝姥命を祀る烏丸神社は「河内鍋ノ宮」または「鍋宮大明神」と呼ばれ、大保村字烏丸に鎮座していた。

明治6年(1873年)5月、烏丸神社は大保村の村社八坂神社(須佐之男命)へ移転合併し、その境内社として祀られた。

また、大保村菅生池尻に鎮座した保食神を祀る宇賀神社も、同じ時期に八坂神社に移転合併し、境内社となった。

明治41年(1908年)1月27日、この大保村の八坂神社とその境内社、菅原道真公を祀る今井村の村社菅原神社、丹南の村社産土神社(天満宮)が当社に合祀され。

後年、産土神社の御神体は、もとの地へ返還された。以上、美原町太井・今井・大保・黒山の一部の氏神として尊崇されている。

合祀神は、天児屋根命・保食神・須佐之男命・大国主命誉田別命・菅原道真・石凝姥命・金山彦命猿田彦命となっている。

社殿のうち、本殿は方1間で、合祀の時今井村の村人らが、菅原神社の神殿を担いで今の位置に安置したもの。

拝殿は、桁行3間、梁行3間半、欅の流造で、江戸時代に再建された。社務所は、桁行4間、梁行2間で、大正4年(1915年)3月26日に大保の八坂神社の神殿を移築したもの。

合祀神社の中で、烏丸神社は河内鋳物師が奉斎し、崇敬された社。

河内鋳物師は中世において美原区近辺を本拠地として、鉄や銅などの金属を溶かして鋳型に流し込み、鍋・釜などの生活道具から、梵鐘・仏像にいたるまでの製品を鋳造した。

現在も全国各地の梵鐘などに「河内国丹南郡○○」という銘文があるものが多数残っている。

この鋳物師が作る鍋は特に「河内鍋」として知られ、その技術力が広く知られると、鋳物師たちは次第に河内国を離れて地方に移り住み、鋳物技術を各地に伝えたという。

江戸時代には、『河内名所図会』などに河内鍋のことが記載されており、河内鋳物師たちが祖神として祀ったのが鍋宮大明神と伝えられていう。

境内末社に、蔵王権現に関係した神々を祀る三十八社、稲荷神社(稲倉魂大神)、猿田彦神社、交通安全社があり、石仏も祀られている。

また、黒姫山古墳石室天井石や、「河内鍋」を記念した鋳物製大鍋がある。この鍋には、「ナベと背くらべ」と書いた目盛りがあり、直径140センチ程度の大きさ。

当社の例祭は10月10日で例大祭。太井・大保・今井などの各地区から地車(だんじり)が出て、宮入りする。10月第1日曜日には鍋宮大明神例祭がある。

【ご利益】
諸願成就、産業振興、事業成功、出世開運、厄災除け(公式HP
廣國神社 大阪府堺市美原区大保
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