大人気の指輪お守りなどパワースポット、厄や弾を除けられる社
[住所]大阪府大阪市西区立売堀2-5-26
[電話]06-6538-2251

サムハラ神社(さむはらじんじゃ)は、大阪府大阪市西区立売堀にある神社。𪮷〓𪮷𪮇神社と表記される。〓は手偏に台の上のムの最終書き順の斜め棒がないもの。参拝すれば、御朱印を頂ける。

昭和10年(1935年)、田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村、現在の津山市加茂町で、古い小さな祠の荒廃を嘆き、再興したのが当社の起源である。

富三郎は、明治元年(1868年)3月3日に美作加茂で生まれた。万年筆業界の先駆者で、「田中大元堂」を経営した。

加茂西小学校に図書館を建設、奨学資金を贈るなど児童育成に貢献し紺綬褒章を授与された。

𪮷〓𪮷𪮇大神(さむさらおおかみ)を篤く信仰していたため、日清戦争と日露戦争で数々の危難をまぬがれたという。そのため、現在も弾除け神社としても知られる。

サムサラ大神の霊徳を世の人々に分かつため、私財で古い小さな祠を再興、サムサラ神社を創設した。神前扉材は伊勢の神宮(伊勢神宮)より賜った。

しかし、翌昭和11年(1936年)、岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして自主撤去を求められ、創設した団体信光会も11月27日に解消し、撤去された。

しかし富三郎は、戦時中にも兵士にお守りを贈る活動をしていた。さらに、戦後も小判の形のお守りを自費で作成し、無料で人々に配布、多くの要人にも贈呈をした。

戦後、大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で神社を建立し、昭和36年(1961年)に現在地へ移築、遷宮した。当弾除け神社に隣接して、府警第一方面機動警ら隊がある。

富三郎は90歳までは自転車を乗り回し、97歳の時でも壮健であり、自らを青年と称していたという。

「信仰は万益有って一害なし」と常に提唱し、毎朝参拝を欠かしたことはなかった。昭和42年(1967年)12月3日逝去、享年100。

当社の御祭神は天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神で、いわゆる造化の三神。正式社名の四字は三神の総称である。奥の院が岡山県津山市の美作加茂にある。

当社に参拝していた女優の浜木綿子は昭和39年(1964年)2月、公演中事故に遭ったが怪我を免れたという。

また、小倉屋山本の社長である山本利助は昭和39年(1964年)6月、交通事故に遭ったが怪我を免れたという。お礼として境内にクスノキを献樹した。

宇野宗佑の伯父で実教出版の元名誉会長である宇野豊蔵も昭和60年(1985年)1月、交通事故に遭ったが怪我を免れたという。

現在、パワースポットとして知られており、特に豊富な授与品が注目されている。銭の形をしているお守りは1000円・袋付き(袋守)3色(朱・紫・緑)は1200円など。

なかでも、指輪(神輪、神環、御守り指輪)は3000円で、一人一つが原則、肌身離さず付けているとご利益があるとされて人気がある。

測定用のリングゲージがあり、号数を指定する。しかし、あまりの人気で入荷してもすぐに欠品になるため、事前に確認が必要。

ただし、そのため、電話がつながりずらいなどの現象が確認できるという。

市内中央区平野町にサムハラ神社平野町護符所があり、施設の入り口前には当社の授与品(お札・お守りなど)が展示されている。

例祭は、4月22日・23日が春季大祭、10月22日・23日が秋季大祭。この4日間に参拝すれば、神社が分から拝殿内でお参りできる場合がある。

拝殿でのお参りが終了すると、撤饌(てっせん)が授与される。例大祭では社務所横の参集所が直会会場となる。

「サムハラ」については諸説ある。無傷無病、延命長寿の神として知られ、身を守るための四字とされる。漢字ではなく、神字。

印西東大寺(千葉県印西市)、雷山千如寺大悲王院(清賀上人により十転化の功徳があるという)など各地の寺社のお守りの呪文に使用されている。

その他、「サムサラ」に関する故事や伝説は枚挙にいとまがない。サンスクリット語の saṃvara (「三跋羅(さんばら)」)という言葉に由来するとも。

【ご利益】
厄災除け、無病息災、健康長寿、弾除け、交通・旅行安全
サムハラ神社 大阪府大阪市西区立売堀
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サムハラ神社 大阪府大阪市西区立売堀の御朱印