平安後期には存在、松下幸之助が氏子総代、7月に太鼓とだんじり
[住所]大阪府大阪市福島区玉川4-1-1
[電話]06-6441-7084

野田恵美須神社(のだえびすじんじゃ)は、大阪府大阪市福島区玉川にある神社。単に恵美須神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建年代は不詳。当社に現存している「御影石」の建石には「ゑみすのみえ」と刻まれ、その側面には「永久三乙未年三月」とある。

永久3年は1115年で、平安時代後期。この頃には祭祀が行われていたことが分かる。

平安時代以前、現在の野田の地形とは大きく異なり、この地域には「難波八十島」という島が点在していたとされる。

そのような島も淀川の堆積土砂によって段々と島が陸地化していき、平安時代末期には本格的な開発が開始されたと考えられている。

当地にも半農業、半漁業の集落が形成され、当社の「エビスの大神」も漁民の守り神として信仰されていたという。

戦国時代になり、この周辺に野田城という城郭が築かれ、当社も城郭の一部に取り込まれたという。天文2年(1533年)に焼失したが、元亀元年(1570年)に再興された。

安土桃山時代になると、織田信長と三好三人衆と間で野田城・福島城の戦いが繰り広げられ戦乱の地となった。

そのような中、当社も野田城の守護神、武士たちの信仰の対象ともなったとされる。

江戸時代になり、大阪が商業の町として栄え、当社のエビス様も福の神として商人たちの信仰を集めるようになった。

明治になり、当社の御祭神は事代主大神と定まった。また、相殿右に天照皇大神、左に八幡大神を祀る。

松下電気産業株式会社、現在のパナソニック株式会社創立者である松下幸之助は、大正13年(1924年)から大正15年(1926年)、昭和3年(1928年)から昭和4年(1929年)に当社の氏子総代を勤めた。

1月9日-11日の当社の十日戎は古くより宝之市大祭と称された伝統のある祭り。福娘による福笹授与や、神札・みくじ授与が行われている。

夏祭が7月19日・20日。もとは渡御式、俗にお渡りといわれる神事があったが、現在は太鼓、地車(だんじり)、および鯛鉾が氏子区域を巡行している。

中でも太鼓は、遅くとも江戸時代から存在していた伝統あるもので、往時は、生国魂天満御霊茨住吉と並んで勇壮な太鼓の五指に数えられた。

もともと野田村は、六つの町に分かれ、そのうち一町が太鼓を、一町が神輿を、そして他の四町がだんじりを持っていた。

しかし、このだんじりも老朽化のため、大正年間(1912年-1926年)には廃絶。昭和6年(1931年)、4台にかわり、1台の大きなだんじりを作って再興した。

当社の例祭は10月9日・10日で秋祭。12月10日には御火焚祭(おひたきさい)が、1月15日にはトンド行事(とんど)がある。

境内社に、熊野社(伊弉冉大神。クマノさん)、稲荷社(宇賀之御魂大神少彦名大神・船玉大神。オイナリさん)、金刀比羅社(大物主大神。コンピラさん)がある。

当社本殿の裏側、門の近くに藤の棚がある。わずか2株の藤であるが、いわゆる野田藤の一部。現在も懸命な育成が続いている。野田藤に関しては、春日神社が有名。

【ご利益】
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野田恵美須神社 大阪府大阪市福島区玉川
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野田恵美須神社 大阪府大阪市福島区玉川の御朱印