足利義詮、豊臣秀吉も観賞した名所・野田藤の「傍らの社」
[住所]大阪府大阪市福島区玉川2-2-7
[電話]06-6441-6449

春日神社(かすがじんじゃ)は、大阪府大阪市福島区玉川にある神社。近代社格では無格社。昔は藤の宮とも呼ばれていた。参拝すれば、御朱印を頂ける。

当社の具体的な創建年代は不詳。江戸時代に刊行された『摂津名所図会』によれば、「野田村林中にあり。当所、藤によりて藤原の祖神を祭るならんか」とある。

また、江戸時代前期の貞享3年(1686年)に刊行された『藤伝記』にも、藤原氏の分流が春日明神を勧請したと伝えられている。

その後、野田村の庄屋であった藤家の氏神として祀られていた。『大阪府全志』によれば、高名な野田藤の「傍らに春日神社あり、無格社なり」とある。

あくまでも主体は野田藤で、当社はその近くの社、という位置付けか。天児屋根命を主神として、相殿に天照皇大神宇賀御魂神を祀る。

この地はフジの一種である野田藤(ノダフジ)が、植物学者の牧野富太郎により命名されるきっかけとなった場所といわれている。

このことにより、世間一般には「野田藤発祥の地」と呼ばれることもあるが、人工種でないノダフジの「発祥の地」は不明と言わざるを得ない。

古くは平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人である西園寺公経(藤原公経)が下記のように詠んだという。
難波かた 野田の細江を 見渡せば 藤波かゝる 花の浮き橋
一説に、鎌倉時代末期の元弘年間(1331年-1333年)、時の太政大臣である西園寺公経が祖神を祀る当社を創建したとも伝わる。

ただし、西園寺公経は平安末期から鎌倉前期の人物であり、時代が合わない。また、当時の太政大臣は西園寺家出身ではあるが、今出川兼季。

また、南北朝時代の貞治3年(1364年)、室町2代将軍足利義詮が住吉詣の途中に、この地で藤を鑑賞したといわれている。

その時に詠んだ歌が、当社境内にある「野田の藤跡」碑に下記のように刻まれている。
むらさきの 雲とやいはむ 藤の花 野にも山にも はいぞかかれる
また、下記のように詠んだともされる。
いにしえの ゆかりを今も 紫の ふし浪かかる 野田の玉川
この歌の後、玉川の藤は「吉野の桜、野田の藤」と並び称せられた。

安土桃山時代の文禄2年(1594年)には豊臣秀吉がこの地を訪れて藤を鑑賞し、休息した茶店「藤亭」で彫らせた額「藤庵」は、現在まで藤家に伝わっている。

この藤庵の庭は、現在は下福島公園内に移設され、復元されている。『摂津名所図会』によれば、江戸時代には茶店など出て賑わったという。

その後、明治以降の急激な都市化や、第二次大戦での被災、阪神高速3号神戸線建設などでこの地の野田藤は一時壊滅状態になった。

近年、野田藤の名所の復活のため、近隣の公園や学校で残った古木の種子を元に栽培が行われている。シーズンには「紫のカーテン」などと人気スポットになりつつある。

現在までに、福島区の花として「のだふじ」が選ばれており、区内には63ヶ所174に上る藤棚がある。「のだふじ巡り 福島区 見所マップ」なども用意されている。

当社の例祭は11月26日で、秋季大祭。5月8日が春季例祭で野田藤まつり(のだふじ祭り)。ライトアップや写真コンテストなどの催しが行われる。

当社の境内には、本殿の他に、拝殿・神楽所や、相殿社・稲荷神社の二つの境内末社がある。また、境外末社として、白藤大神・影藤大神がある。

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春日神社 大阪府大阪市福島区玉川
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