相撲で勝って鶴岡八幡御神体を持ち帰る、岩戸の総鎮守、10月神輿
[住所]東京都狛江市岩戸南2-8-2
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岩戸八幡神社(いわとはちまんじんじゃ)は、東京都狛江市岩戸南にある神社。近代社格では村社。単に八幡神社とも。御朱印の有無は不明。

戦国時代の永禄元年(1558年)、北条氏康の招きに応じ、古河公方の足利義氏が鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝した際、神前にて八幡神体を懸賞にした大相撲を開催した。

世田谷城主の吉良頼康に従っていた岩戸の秋元仁左衛門という人物は、この大相撲に勝ち、岩戸に八幡神像を持ち帰って、八幡神を勧請、創建したのが当社の起源。

秋元仁左衛門は怪力無双の勇士で、人呼んで鬼五郎左衛門と称し恐れられていた。この相撲の伝統は、今でも世田谷八幡宮の祭礼に行われていることで、受け継がれている。

創建当初、御神体は神秘の木の坐像、束帶、身丈24.75センチで、参詣者の無病息災と子孫繁栄に霊験ありとされ、近郷近在の老若男女が競って参詣したと伝わる。

この地は、往古は的矢庄石井郷と呼ばれ、後に岩戸と訛った。当社は創建以来、狛江の旧6ヶ村の一つ、岩戸の総鎮守として崇敬された。御祭神は応神天皇(品陀和気大神)。

『新編武蔵風土記稿』岩戸村の条にも「八幡社」とあり、村の鎮守で、明静院が別当を勤めたとある。

明治3年(1870年)に社殿を改築。明治4年(1871年)10月、村社に列し、明治37年(1904年)8月31日には字宿屋敷1085の駄倉明神と字古屋敷614の神明社を相殿に合祀した。

現在までに、相殿に駄倉大神・天照皇大神天児屋根命大山祇大神を祀る。

昭和37年(1962年)8月、木造一部鉄筋コンクリート造り、向拝付拝殿、銅板葺、総建坪が15坪あまり。昭和49年(1974年)9月、神楽殿を新築した。

また、附近には千古を伝う湧水があり、また、社前の池中には末社の厳島神社があり、市杵嶋姫命を祀る。境内社は他に、駄倉明神・神明社・稲荷神社がある。

例祭は10月第1日曜日。神輿の渡御がある。笛と拍子木そして手拍子に鼓舞され老若男女が力合わせて小田急ガード下をほのぼの渡御する。

大太鼓に子供神輿が続き、お囃子山車が宮神輿を先導する。17時25分から30分間の宮入道中では女神輿も担がれる。境内でも奉納演芸が行われる。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全、開運招福
岩戸八幡神社 東京都狛江市岩戸南
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