欽明朝の創建、帝都の疫病除けの神、厩戸皇子開基の海会寺の鎮守
[住所]大阪府泉南市信達大苗代373
[電話]072-484-0644

一岡神社(いちおかじんじゃ)は、大阪府泉南市信達大苗代にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

「祇園さん」とも称される。御祭神は須佐之男命。相殿に、稲田姫尊・八王子命を祀り、菅原道真誉田別命を配祀する。

第29代欽明天皇元年(539年)に創建された。当時、悪疫が日に増して激しく流行したため、時の長人が平癒祈願をした。

そこで、神徳顕著に現証され、その寄徳を仰ぎ、山城国に御分霊を斎して、疫病除け祈願の神と定められたという。

帝都の疫病除け祈願の神と定められ、毎年大祭には御神輿を迎えて祭典が執行された。

毎年6月7日、当社を発輦し、13日に着輦、14日に大祭を行い、3日間滞在し、その間帝都の氏子たちは神輿を奉じて各地を巡行した。

供人などはその間、山海の珍味によって接待を受け、18日に発輦還行の途につき、24日に当社に還御、25日に供人など供洗川で身を浄め、28日に還行祭を執行した。

これらの移動は御所車で、この祭典を見た京都の人が祇園祭を始めたという説がある。

第32代崇峻天皇5年(592年)に厩戸皇子が海会寺を建立し、当社をその鎮守と定め、御供田三反歩を供して崇敬したと伝わる。

奈良時代、第45代聖武天皇の御代、高僧行基は社の南に一大溜池を築造、海営宮池と名付け、寺社ともに修復した。

安土桃山時代、第106代正親町天皇の御代、天正5年(1577年)に織田信長の兵火に罹り焼失した。

その後、第107代後陽成天皇の御代、村民氏子によって新築、再建され、その昔は境内3238坪、境内外実に6760坪に及び、1500坪の供田を有し、日根郡内唯一の大社として栄えた。

後に正一位の神階に達した。明治40年(1907年)12月9日、熊野九十九王子の厩戸王子を合祀し、境内社である市杵島神社(市杵島姫命)とした。

他の境内社に、日吉神社(大国主命)、稲荷神社(宇迦之御魂命猿田彦神)、厩戸王子神社(厩戸王子命)、牛神神社(大己貴命)がある。

境内にある海会寺跡は、約1300年前の寺院の跡で、伽藍配置の法隆寺様式をもち、国の史跡に指定されている。

明治末期ごろまでは、夏の縁日には近村から多くの参詣者が集まり、屋台もならび、大変賑わったと伝わる。

現在も祇園さんと親しまれる夏祭りは、毎年8月1日に行われ、多くの露店が出て、巫女舞の奉納などがある。秋祭りでは、宮本の大苗代と北野のやぐらが宮入する。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、夫婦和合、地域安全
一岡神社 大阪府泉南市信達大苗代
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