伊豆田神社を勧請、田村との不仲、11月には女装で神輿と太鼓
伊都多神社 高知県南国市前浜441-イ
[住所]高知県南国市前浜414-イ
[電話]-

伊都多神社(いづたじんじゃ)は、高知県南国市前浜にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。室町時代の長禄2年(1458年)、土州安芸郡和食村庄大日寺常住、尼妙亭が鰐口を奉納した記録がある。

長禄2年以前に存在したのは確実だが、前浜地区は弥生時代の集落跡も存在するなど、当社の創建はさらに古い可能性も指摘されている。

現在の土佐清水市、幡多三古社の一つで、式内社の伊豆田神社を勧請したと考えられている。しかし、旧祠宮横田家の旧記には「尾張国熱田宮ヲ勧請」とあるという。

古来より前浜村、ならびに三和村のうち、細工所中ノ丁東場地区の惣産土神だった。御祭神は伊豆那比咩命(伊豆那津姫命)。

往時は特に脚気封じのお伊都多様として、土佐一円に病気平癒に参拝・祈願があったといい、例祭は賑やかだったと伝わる。

御祭神の伊都姫命は3柱の姉妹神と伝えられ、ことに前浜地区の次女神と田村地区の末女神が不仲であるという伝承があった。

そこで、かつては祭の際に田村地区の神輿が前浜地区の当社境内に石を投げ込んでいくという風習があったという。

しかし戦後、そのような風習は野蛮であるとして廃止の申し入れが行われ、現在では行われていない。

田村地区にも当社と同名の神社があり、次女神・末女神に対応する長女神が伊豆田神社とされる。ただ、当社と田村の姉妹が逆、とも、大川上美良布神社の御祭神が姉、とも。

また幕末、商人たちが経済力を生かして力を持ちつつある反面、郷浦(農漁村)の庄屋たちは頻繁に転勤を命じられ、困窮していた。

天保8年(1837年)、当社祭礼の際、本来末席に座るべき町の庄屋が、郷浦の庄屋の上に座ろうとしたことを発端に、郷浦の庄屋たちが古式復帰を求めて庄屋同盟を結んだ。

同盟文には尊王思想が盛り込まれ、その思想が浸透したのか、次の世代の庄屋層の多くが、同じ尊王思想を持つ土佐勤王党へ入って活躍したという。

例祭は11月10日。御神幸祭が11月吉日に行われる。地元の男性・男の子が白塗りの化粧に白装束という出で立ちで、神輿を担ぎ、地域を練り歩く。

また、ピンクのたすきに帯を巻き、ドンドンと伊都多太鼓を響かせる。女神にあやかったものなのか、なぜ女装のような形態なのかは不明。

2月17日に春祭、旧暦6月15日に夏祭・輪抜祭、11月23日に秋祭がある。

社殿は大正12年(1923年)に屋根の修復を行った記録が境内石柱に残されているものの、建立時期は不明。

平成17年(2005年)、台風が高知県に相次いで上陸した際、当社殿も大きな被害を受け、拝殿・本殿の修復事業が行われた。

主要な柱・梁などは以前のものを残しながらの修復・再建となり、翌平成18年(2006年)10月に竣工した。

近年、境内の西に津波避難のための「前浜伊都多タワー」が建てられた。南海トラフ巨大地震に対する備えが進められている神社の一つ。

【ご利益】
地域安全、家内安全、子宝・安産、良縁・縁結び
伊都多神社 高知県南国市前浜
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