食べ物が失った時に神が稲穂を降らせた、二塚古墳と経塚
稲根神社 兵庫県加古川市神野町神野1260-1
[住所]兵庫県加古川市神野町神野1260-1
[電話]079-438-6850

稲根神社(いなねじんじゃ)は、兵庫県加古川市神野町神野にある神社。近代社格では村社。曇川の河口に近い。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。当社伝によれば、太古、人々が食べ物を失った時、倉稲魂命がこれを憐れみ、高天原から稲穂を降らせた。

その時、この地に三粒が落下して、これが実って、世の中に米が満つようになった、という。

当社は旧二塚村の地にあたる。当社裏には古墳時代後期の古墳が二つあり、二塚古墳と呼ばれる。

石見完次『東播磨の民俗』では、二塚古墳に葬られていた豪族が、水と平地を求めて神野の里に来て、最初にこの地に稲を作った部族の長であると考えられるとする。

「そしてその有難い稲の御魂を祭ったのが稲根神社である」としている。神野の地は賀意理多の谷とも呼ばれ、神野村は、明治期に手末村と二塚村が合併してできた。

江戸時代前期の慶安元年(1648年)、当社に姫路城主松平下総守より黒印領3石が寄進され、代々の領主がこれを継承した。

江戸時代中期の明和3年(1766年)には拝殿を、安永3年(1774年)には本殿を上棟した。江戸時代後期の文政11年(1828年)、拝殿の屋根を葺替えした。

幕末の安政年間(1854年-1860年)、二塚古墳の墳丘部から「源能定」銘の小銅版を含む経筒が出土した。経塚だったようだ。

源能定は、後醍醐天皇の忠臣であり、この経筒や経塚は鎌倉時代末期のものと考えられている。もっとも、源能定と当地の関わりは不詳。

当社は明治7年(1874年)、村社に列し、明治13年(1880年)には本殿の屋根を、大正11年(1922年)には拝殿の屋根を葺替えした。

現在までに、主祭神は倉稲魂命。天照皇大神猿田彦命を配祀する。例祭は10月15日。

なお、当社は旧印南郡において、毎年春、3月末から5月初頭のいずれかに行われる臨時の祭り、国恩祭を行う神社の一社。

【ご利益】
五穀豊穣、一族・子孫繁栄、開運招福
稲根神社 兵庫県加古川市神野町神野
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