昭和前期まで使用された産屋(うぶや)が現存する安産の神
[住所]京都府福知山市三和町大原191-1
[電話]0773-58-4324

大原神社(おおはらじんじゃ)は、京都府福知山市三和町大原にある神社。参拝すれば、「天一位」とある御朱印を頂ける。

平安時代前期の仁寿2年(852年)に創建されたという。御祭神は、伊邪那美命天照大日霎命月読命

南丹市美山町樫原大原谷の当社と同名の神社では、当社は樫原大原谷を分祀したものという由緒を伝える。

当社御朱印あるいは扁額にある「天一位」は自称だというが、やはり樫原大原谷の発祥だという。また、東京都中央区日本橋兜町の大原稲荷神社も「天一位」を称する。

ともかく、創立以降、累代藩主の庇護を受け、公卿諸侯の尊崇を仰ぎ、とりわけ綾部藩主九鬼侯の崇敬が篤かったという。

現在の広壮な社殿は、江戸時代後期の寛政8年(1796年)に再建されたもの。拝殿の唐破風の「龍の丸堀り」などの彫刻が見もの。

古くから「大原志(おおばらざし)」と俳句の季語にも詠まれた当社は、この地方の安産信仰をつかさどる神社として、多くの参詣者があった。

例祭は5月3日で、春季例大祭。宵宮が前日の2日にあり、神興渡御がある。

境内の、神前の清流近くに産屋(うぶや)が建つ。大正年間(1912年-1926年)の初期まで、産婦が臨月を迎えると、ここに七日七夜篭り、出産に臨んだという。

また、昭和23年(1948年)ごろまで、出産後の体を休める場所としても使われていたという。

入口に魔除けの古鎌が掛けられ、みな平産(安産)だったと寛文年間(1661年-1673年)の当社記録にある。

また、産屋の入口は当社本殿に向けられており、産土神の加護のもと新しい命を授かる場だったと考えられている。

土間の砂は「子安砂(こやすのすな)」と呼ばれ、当社の安産の神符として授けられ、寛政12年(1800年)には愛媛宇和島藩伊達家の代参が送られた記録が残っている。

この神符のご利益が効果絶大として、江戸時代には現在の京都市内にも出張所が設けられ、祈願者に授与された。

あまりの人気ぶりからか、当社とその出張所の間で金銭に関わるトラブルが発生し、両者の関係が悪化、交流は断絶したという。

現在、京都市下京区の善長寺町にも同名の神社があるが、それが当社の出張所だったところ。

平成13年(2001年)、江戸時代以来続いていた関係悪化が解消し、両者間の交流が再開されたという。

当社では、現在も安産祈願が盛んで、実際に妊婦が祈願したところ、悪阻(つわり)が楽になったなどの報告が多々寄せられている。

何かと不安が多い妊婦に対して、「うぶや」効果もあり、神々がお腹の子を守護してくれる感覚に包まれ、精神安定にもつながっているようだ。

当社を中心にうぶやの里・大原として、四季折々の様々な風景が見所になっており、「大原八景」が選定されている。

当社の絵馬群は、丹波地方一の質、量を誇るとされ、府下で5位の古さとなる慶長4年(1599年)奉納「神馬図」や、元禄4年(1691年)「平等院(宇治橋)図」などが現存する。

幕末の丹波地方の農耕の1年の様子を描いた「四季耕作図」は、当時の農業の有様を物語る貴重な資料の一つになっている。

また、伝説が記された巻物とともに残されている「蛇のひげ」と呼ばれるものが残されている。

その昔、現在の蛇ケ谷の地域を荒らしていた化け物を、石粉主利助という者が退治した時、姿を現し逃げ出した竜が落としたものだという。

【ご利益】
子宝・安産、子育て、女性守護
大原神社 京都府福知山市三和町大原
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大原神社 京都府福知山市三和町大原の御朱印