『伊勢物語』渚院の地、観音寺跡、栗倉神社の御旅所に創建した社
[住所]大阪府枚方市渚本町12-5
[電話]072-847-6665

御殿山神社(ごてんやまじんじゃ)は、大阪府枚方市渚本町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

京阪電車本線の御殿山駅で下車し、東側の急な勾配の坂道を約300メートルほど登り切った所、すぐ横に市立御殿山生涯学習美術センターや、御殿山公園がある。

丘からは氏地を見下し、淀川を隔てて山城・摂津の緑美しい山々が見える素晴らしい眺望に恵まれている。氏地は旧大字渚一円である。

御殿山の名は、平安時代、惟喬親王が渚院を別荘とした時、この山上に休憩所を造ったことにちなむという。

当地の渚院と、皇室の関係は、第49代光仁天皇が宝亀2年(771年)、交野に行幸したことから始まる。

第50代桓武天皇は樟葉の藤原継縄の家で身支度をして交野ケ原で遊猟し、渚院を御旅所としたという。

第52代嵯峨天皇の頃には、「渚院を頓宮(御旅所)とした」との明確な記録が残るようになる。

そうして、第55代文徳天皇の第一皇子である惟喬親王の頃になる。その昔、惟喬親王が交野原で猟を楽しんだ時には渚院の別荘に度々訪れたという。

『伊勢物語』に収録された、在原業平のあまりにも有名な下記の歌の舞台になったことでも知られる。
今狩りする交野の渚の家、その院の桜ことおもしろし。その木の元に居りいて、枝を折りてかざしにさして、上中下みな歌詠みけり 馬の頭になりける人のよめる

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
しかし、親王が政争に巻き込まれ、俗世間を離れ小野の里で静かに暮すようになってからは、渚院の別荘は荒れた。それを寺院に造り改め、後世これを真言宗の観音寺とした。

その渚院跡は今も渚元町にあって、鐘楼と寛文元年(1661年)に永井伊賀守の家臣で杉井吉通が建立した「河州交野渚院碑」が残っている。河内西国三十三か所16番札所。

なお、御殿山の名については、この永井伊賀守がこの山に陣屋を設けたことにちなむとの説もある。

この渚院の邸内跡には、観音寺北隣の栗倉神社の御旅所があった。その栗倉神社は、元和2年(1616年)に小倉村に社殿を造営したもの。

八幡大神つまり品陀和気命(応神天皇)を勧請し、八幡宮として小倉村・渚村の2ヶ村の氏神とした。文政年間(1818年-1831年)には拡張・改築された。

その頃より渚村に独立した神社を勧請しようという話が起こり、その栗倉神社の御旅所に八幡大神を渚の神社として奉斎、これを西栗倉神社と称した。

明治になり、観音寺は廃寺、明治2年(1869年)に現在地に社殿を造営し、明治3年(1870年)9月19日に西栗倉神社のお社から御殿山に遷宮して、現社号に改称した。

拝殿内にはこの遷宮の様子を描いた縦76センチ、横176.5センチの絵馬が奉納されている。現在は市の文化財に指定されている。

それには西粟倉神社から御殿山の新社殿への賑々しい祭礼の行列が描かれており、遷宮がいかに盛大なものであったかを知る貴重な資料である。

社殿は割拝殿の背後に幣殿と本殿が建てられ、本殿は奈良を中心に近畿地方に多く見られる型通りの一間社流造。

幣殿は大正4年(1916年)に梁間が拡張されているが、本殿・拝殿は当初のまま伝えられている。

なお、前身社殿のものとみられる銅製の釣燈籠が幣殿に残されており、「河州/交野郡渚村/北町内安全/嘉永6年/癸丑9月吉日/世話人若中」の透彫を確認できる。

例祭は10月19日で秋の大祭。本宮祭とも。当日は、浪速神楽の湯立て神事や、青空お茶席が設けられ、奉納狂言も行われる。

前日の18日が宵宮祭で、南京たますだれ、銭太鼓・和太鼓などの奉納演奏がある。

境内社に、稲荷神社・貴船神社がある。

【ご利益】
厄災除け、無病息災、健康長寿(公式HP
御殿山神社 大阪府枚方市渚本町
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