継体皇居跡、桓武祭祀跡、鎌倉期本殿が重文、ゆるキャラ「みっけ」
[住所]大阪府枚方市楠葉丘2-19-1
[電話]072-857-7332

交野天神社(かたのてんじんしゃ/かたのあまつかみのやしろ)は、大阪府枚方市楠葉丘にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『続日本紀』や『岩清水神宮 縁起』によれば、桓武天皇が延暦6年(787年)、交野に父である光仁天皇を祀るための郊祀壇を設けたとあり、当地がその地とされている。

当社鳥居前には、「桓武天皇先帝御追尊之地」の碑がある。ここに郊祀壇が設けられたのは、第26代継体天皇が即位した樟葉宮跡が当地だったことによるとの説がある。

樟葉宮跡は、現在当社地北東に鎮座する末社の貴船神社の近辺とされる。貴船神社の御祭神は高龗神、継体天皇を合祀している。

「継体天皇樟葉宮跡伝承地」として、府の史跡に指定され、「枚方八景」の一つ「樟葉宮跡の杜」にも指定されている。

なお、『日本書紀』によれば、継体天皇は樟葉宮を皮切りに、筒城宮・弟国宮・磐余玉穂宮と皇居を移している。

『古事記』では、「伊波礼之玉穂宮」として最後の大和の地のみを記載している。ちなみに、やはり当社鳥居前には「樟葉宮旧蹟」がある。

当社の御祭神は光仁天皇。桓武天皇の郊祀壇跡としての天神であり、いわゆる天神天満宮ではない。

しかし、明治になり、当社は天神天満宮の菅原道真を合祀している。他に、現在当社は天児屋根命も祀る。

当社本殿は、一間社流造、檜皮葺で、鎌倉時代の嘉禎4年(1238年)と室町時代の応永9年(1402年)に修理された。

嘉吉2年(1442年)には鎧葺を檜皮葺に改められた。全体の外観は雄大な手法で、鎌倉時代の様式を残し、蟇股などの彫刻は、繊細で美しいものが多い。

その本殿と並列するように鎮座する、誉田和気命を祀る末社八幡神社本殿は、造営年代は本社本殿よりやや下り、小規模で簡素な造りになっている。

ただし、構造や形状は当社本殿に等しく、向拝の蟇股や欄間の透彫が特徴。嘉禎4年、応永9年、嘉吉2年の棟札が現存し、この2棟ともに国の重要文化財に指定されている。

なお、末社の貴船神社本殿も、一間社流造、桧皮葺で、建築様式から見て、桃山時代に遡る遺構と見られ、市の有形文化財に指定されている。

また、神殿を囲む自然林に差す木洩れ日が、訪れる人を遠い昔に誘いこむ風情があるとして「大阪みどりの百選」にも選ばれている。

例祭は10月17日。前日の16日が宵宮。平成19年(2007年)には継体天皇即位1500年祭が、「樟葉宮みっけ市」とともに4月29日に斎行された。

それ以降、毎年春祭が4月29日に実施されている。

当社も協力する形で、付近の商店で構成する「樟葉宮表参道商店会」があり、マスコットとして巫女姿の猫のゆるキャラ「みっけ」が平成25年(2013年)より活動している。

【ご利益】
厄災除け、交通安全、学業・受験合格、商売繁盛
交野天神社 大阪府枚方市楠葉丘
【関連記事】
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
交野天神社 大阪府枚方市楠葉丘の御朱印