善左衛門稲荷、八人の僧に助けられた八僧稲荷、万燈神輿の発祥地
[住所]東京都墨田区墨田4-38-13
[電話]03-3611-7846

隅田稲荷神社(すみだいなりじんじゃ)は、東京都墨田区墨田にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

初代堀越公方の足利政知(1435年-1491年)が伊豆で病死し、その家臣である江川善左衛門雅門と郎党が天文年間(1532年-1555年)に当地に逃れ、開拓した。

これが後に南葛飾郡善左衛門村と呼ばれる地域である。政知の死と善左衛門の逃走には30年以上の開きがあるが、その理由は不詳。

ともかく、その開拓の際、京都の伏見稲荷大明神を勧請して、氏神として祀ったのが当社の創祀。御祭神は宇迦之御魂命

慶長年間(1596年-1615年)に社殿が改築された。

江戸時代になり、関東総司である妻恋稲荷神社の神官、斎部宿禰守儁が仲介し、伏見稲荷大社の神璽を拝領して、氏子などが御田地を奉納し、境内を整備したと伝わる。

この神璽奉斎の旅中、一説には伊勢参宮ともされるが、5代目善左衛門は美濃国で山賊に遭遇したが、8人の僧が現れ、その危機を救った。

そのことから、当社は八僧稲荷とも称されるようになった。

また、『隅田町誌』によれば、「善左衛門稲荷神社」とも、あるいは三輪里稻荷神社同様、「コンニャク稲荷」としての伝承もあったという。

『新編武蔵風土記稿』にも「稲荷社二宇。一は村の鎮守なり」とあり、この善左衛門村の鎮守が当社のこととされる。別当は須崎村弘福寺だった。

江戸時代後期の文政13年(1830年)正月、社殿を改築。また、当社は「万燈神輿」発祥の地とされている。

これは、幕末の元冶年間(1864年-1865年)、善左衛門の遺徳を讃えた里人が万燈に開拓由来の錦絵を描いて、神輿として担いだことに由来するという。

大正2年(1913年)から工事が開始された荒川放水路開削にともない、大正5年(1916年)に旧内務省より換地として得た現在地に遷座した。

当初は無格社だったが、昭和7年(1932年)12月27日、村社に昇格した。

昭和10年(1935年)9月、公爵の一條実孝、靖国神社宮司の関矢司樹が当社御神号の額に揮毫している。昭和18年(1943年)4月、現社殿に造替された。

現在の例祭は6月15日の前の土・日曜日。万燈神輿は遷座前年の大正4年(1915年)以降、永らく断絶していたが、昭和50年(1975年)、60年ぶりに復活した。

3年に1度の本祭で渡御が行われる。万燈の上には弓張提灯が飾り立てられ、夜空に万燈の灯が映える様は、華麗で優雅。

神輿の点燈は19時が目安となっている。各町会で担ぎ継がれて鐘ヶ淵通りを錬り、狭い道路は人で溢れ、万燈は右に左に揺れる。

境内の手水舎は昭和39年(1964年)の建築だが、水盤は幕末の弘化4年(1847年)造。

境内社に、皇産霊神社(高皇産霊神)、八幡神社(応神天皇神功皇后)、白髭神社(猿田彦大神)がある。遷座前には神皇産霊神も祀られていたとも。

【ご利益】
家内安全、商売繁盛、交通安全、地域安全
隅田稲荷神社 東京都墨田区墨田
【関連記事】
東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
隅田稲荷神社 東京都墨田区墨田の御朱印