衣笠御霊、尊氏墓所の等持院の鎮守、六地蔵信仰、境内に力石大明神
[住所]京都府京都市北区等持院中町53
[電話]075-463-7238

六請神社(ろくしょうじんじゃ)は、京都府京都市北区等持院中町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

古来、衣笠(きぬがさ)の地、衣笠山麓に鎮座していたため、衣笠御霊とも、衣笠岳御霊とも呼ばれたという。その山に鎮まる先人の霊を併せて祀ったのに始まる。

おそらく、上古、この地の開拓者の代々の霊を祀ったものという。創祀・創建は平安時代初期の延暦年間(782年-806年)ともされるが、不詳。

昔は開拓の祖神を天照国照神(あまてるくにてるのかみ)または大国御魂神(おおくにみたまのかみ)と呼んだ。

その天照国照神からの連想か、いつしか天照大神ら6柱を勧請して六請神と呼ばれるようになったという。

衣笠はその名が示すように、中世以来の埋葬地となっていたところで、霊を守る六地蔵の信仰と習合して、六の字が社号に加えられたともいう。

伊勢石清水、賀茂(上賀茂下鴨)、松尾稲荷春日の神々という6柱に限定されたのもそのためだという。

南北朝時代の暦応4年(1341年)、足利尊氏は現在の京都市中京区柳馬場御池付近に等持寺を建立したが、当社はその境内社となり、同寺の鎮守となった。

尊氏は康永2年(1343年)、現在の京都市北区等持院北町に別院北等持寺も建立したとされ、尊氏の死後は別院北等持寺が尊氏の墓所となり、等持院に改称した。

応仁の乱(1467年-1477年)で、本寺の等持寺が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺になったという。

その後、当社は等持院のみならず、真如寺の鎮守になり、また周辺の産土神となって、六請明神社・六所明神などとして崇敬された。

明治になり、神仏分離の時に、現在地に遷座したという。例祭は10月下旬で、神幸祭が行われる。

神幸祭の前日、宵宮では、夕方から餅付きが行われ、それが振る舞われたり、近隣の立命館大学の学生によるよさこい踊りがある。

当日は、昼から出御し、境内を出て、一度、神輿を担ぎ、激しく揺らした後、氏子町を巡行する。念佛寺の前で差し上げが行われる。

当社の拝殿の右側には力石大明神がある。大きな石が祀られており、この石は古来より祈願して持ち上げられれば、あらゆる力を授かると伝えられている。

今では当社で小石を授かり、氏名・性別・年齢と願い事を書いて奉納すると、石を持ち上げたのと同じご利益があるとされている。

【ご利益】
諸願成就、地域安全
六請神社 京都府京都市北区等持院中町
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六請神社 京都府京都市北区等持院中町の御朱印