「成田不動」寛朝、その子が父の死に悲嘆して入水した広沢池
[住所]京都府京都市右京区嵯峨釣殿町28
[電話]-

児神社(ちごじんじゃ、兒神社)は、京都府京都市右京区嵯峨釣殿町にある神社。児社(ちごのやしろ)とも。御朱印の有無は不明。

周囲1.3キロほどの池で、日本三沢の一つ、別名遍照寺池(へんしょうじのいけ)とも呼ばれる広沢池(ひろさわのいけ)の南西に鎮座する。

平安時代中期の真言宗の僧である寛朝は、永祚元年(989年)10月26日、時の円融天皇の命により、広沢湖畔に遍照寺を建立した。

寛朝といえば、平将門が関東で反乱を起こした際、自ら関東に下向し祈祷を行った。その時に祈祷した不動明王を本尊として創建されたのが「成田不動」で有名な成田山新勝寺である。

寛朝は、宇多天皇の皇子である敦実親王の子。真言声明の第一人者で、遍照寺の住持であったことから「広沢僧正」「遍照寺僧正」とも呼ばれた。

長徳4年(998年)に亡くなるが、その時残された子供はこれを嘆き悲しみ、ついには広沢池へと身を沈め、僧正の後を追ってしまった。

近隣の住人がこれを聞いて不憫に思い、この子供の霊を慰めるために建立されたのが当社である。

当社の境内には今も、父の寛朝が座禅する際、傍らでその子が腰をかけていたといわれる石椅子がある。

まず神前で祈願し、その後この石椅子に座れば願いが叶うと伝えられる。なお、当社近くの遍照山には、寛朝の座禅石と伝わる石がある。

【ご利益】
子宝・安産、縁結び、健康長寿
児神社 京都府京都市右京区嵯峨広沢町
【関連記事】
京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧