藤原北家勧修寺流の流れ、葉室家の荘園の鎮守、江戸前期の本殿
[住所]京都府京都市西京区山田南町
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葉室御霊神社(はむろごりょうじんじゃ)は、京都府京都市西京区山田南町にある神社。御朱印の有無は不明。

坂道を登って少し高台になった場所に鎮座する。この山田地域には、平安時代頃から藤原北家出身の公家、葉室家(はむろけ)の荘園があった。

現在も葉室町の名前が残る。当社の創祀・創建年代は不詳だが、もとは葉室家のその荘園の鎮守として祀られた。

葉室家は、平安時代中期の右大臣藤原定方に始まる藤原北家勧修寺流の流れを汲み、参議藤原為房の二男で権中納言藤原顕隆が平安時代末期に創設した公家。

代々の葉室家の祖霊(御霊)を祀ってきた。御祭神は御霊大明神。

戦国時代の山科言継の日記『言継卿記』には、言継が葉室家第17代当主葉室頼継の山荘を訪ねた際に、当社の祭礼、猿楽を見物したとある。

現在の社殿は、葉室家第24代当主で大納言だった葉室頼孝が、江戸時代前期の元禄2年(1689年)に建立したもの。

昭和56年(1981年)10月、当時の葉室家当主で、後に春日大社の宮司を務めた第37代葉室賴昭により修理された。

この修理の際に残された駒札では、祖霊を祀るようになった理由に関して、葉室家の見解が記されている。

もともと、古代の日本の神道は、個人や社会に不幸をもたらす要因は神の祟りに帰すものと考え、これを防ぐ方法は、神の意志を慰めることしかないとされてきた。

その後、仏教が伝来し、広まるにつれ、祟りは神の絶対意志として避けられない不幸という考え方から、不幸をもたらすのは人格的な祖霊の働きによるものという考え方に変わった。

こうして、祟り、祖霊と我々との関係がはじめて諒解されるようになり、平安時代初期から、この祖霊を神社として祀り、僧侶が経巻の転読を行って祖霊の供養が行われるようになった。

これが御霊信仰の起因であり、神仏習合(神仏混合)の始まりだという。

当社では現在も神仏習合(神仏混合)時代の影響を残し、御霊大明神を祀る中央の御霊本社の左には、国挟槌尊(月霊)と菩薩像を、本社右に十禅師社を祀っている。

十禅師社は、奈良時代の宝亀3年(772年)に学徳兼備の僧侶10名を全国から選んで、十禅師の称号を与えたことにちなんだもので、この10名の僧侶を祀っている。

当社の例祭は11月中旬。

【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄、諸願成就
葉室御霊神社 京都府京都市西京区山田南町
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