奈良期創祀、境内に若宮八幡宮、クス・イチョウ・ムクの巨木
[住所]大阪府大阪市平野区加美正覚寺1-17-30
[電話]06-6791-4045

旭神社(あさひじんじゃ)は、大阪府大阪市平野区加美正覚寺にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

播磨の広峰牛頭天王と同じ時期、奈良時代の天平5年(733年)の創始で、加美郷の地神として祀られたと伝わる。

御祭神は旭大神で、素盞嗚尊・旭牛頭天王の総称。現在までに、天照大神春日大神・堅牢地神・諏訪大神・公守大神・勝手大神・丹生大神・嶋戸大神を合祀している。

もとの鎮座地は現在地より東2町の宮の下にあったが、当地に鎮座していた若宮八幡宮の境内に遷座、産土神である当社を主とし、若宮八幡宮を摂社となした。

奈良時代の天平勝宝6年(754年)8月、風雨が止まず農民が困窮した際、下記の八幡神神託があった。
櫛と橘を水上より流し、その止まったところに祀れば、水難は止み、農民は安穏
神託に従って、大和国と河内国の境から櫛と橘を流し、櫛が流れ着いたところに玉櫛明神を、橘が止まった賀美の地に、この若宮八幡宮を祀ることになった。

この若宮八幡宮は、東大寺の八幡宮を勧請し、橘を御神木と定め、当時太上天皇も御幸したと伝わる。

当初は風雨を止めるために創祀されたが、いつしか雨乞の宮と唱えられ、崇敬されたという。これに関しては、下記の伝承が残る。
近くに住んでいた綿屋が商用で狭山に行った時、狭山池のほとりに美しい娘が悲しそうな顔をして立っていた。

声をかけると、「実はこの池の中に恐ろしいものが落ちているので、取り除いてほしいのですが、どなたさまも引き受けてくれません」と訴えた。

綿屋は、「そりゃ気の毒に、こんなに深い池では難しいでしょう」と言うと、「いいえ、水は私がなんとかします」と着物を着たまま池に飛び込んだ。

みるみる池の水は干上がった。見ると池の底にピカピカ光った鍬が一本落ちていた。綿屋はそれを拾い上げて捨てた。

そうすると娘は再び現れ、「御礼に何でも差し上げます」と頭を下げた。

綿屋は、「別に何もいりませんが、村では干魃が続いて困ることがあるから、雨を降らせる方法を教えてほしい」と言った。

「おやすいごようです」と娘はにっこり笑って、胸の中から鱗を3枚出してきて、「これを村の鎮守様に納めて、お困りの時にお祈りして下さい」と伝えた。

綿屋は村に戻ってから、この若宮八幡宮に奉納、以来、祈雨の霊験あらたかで、村は繁栄したという。
平野郷は9世紀初め、坂上田村麻呂の次男である広野麻呂が杭全荘を所領とし、広野が平野に転化したと伝えられる。

平野郷は環濠集落で有名で、当社の鎮座する加美正覚寺地区も環濠集落で、当社の北と西と道はその名残である。濠の出入り口を守っていた地蔵尊が今も残っている。

平野川から船で天満大阪に酒、繰綿などの平野の産物を運んだ船が柏原船と呼ばれた。当社の本殿腰板に保存されている。

当社の例祭は10月15日・16日。7月15日・16日が夏祭りで、神輿をはじめ布団太鼓、地車(だんじり)の巡幸がある。正覚寺だんじり祭りとも呼ばれる。

境内には淀城主稲葉丹後守正益が江戸時代中期の寛延2年(1749年)に奉納した灯籠2基が現存する。

若宮八幡宮の御神木として祀られた橘は現在、確認できないが、境内にはクス・イチョウ・ムクの巨木がある。

クスノキは、幹周2.5メートル、樹高20メートル、樹齢は推定500年。府の天然記念物に指定されている。

イチョウは2棟の拝殿の中央にあり、幹周1.9-2.5メートル、樹高20メートル、樹齢は推定400年。3本のイチョウが根元でくっついている。

ムクノキは、幹周2.8メートル、樹高17メートルの市の保存樹、幹周1.9メートル、樹高18メートルの府の天然記念物のものがある。

3月は大相撲大阪場所があり、この社域に友綱部屋が部屋を借りている。平野に歴史の散歩道が設けられており、当社や隣の加美正覚寺跡、杭全神社などを通っている。

【ご利益】
治水、祈雨・天候、厄災除け、病魔退散(公式HP
旭神社 大阪府大阪市平野区加美正覚寺
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旭神社 大阪府大阪市平野区加美正覚寺の御朱印