8メートルの巨大な龍、「福助」大丸百貨店の創始者が崇敬
[住所]京都府京都市東山区本町11-718
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瀧尾神社(たきおじんじゃ)は、京都府京都市東山区本町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀・創建年代は不詳。『源平盛衰記』に記載されているというから、平安時代末期、遅くとも鎌倉時代ごろまでには創立していたか。

安土桃山時代の天正14年(1586年)10月、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座した。

御祭神は大己貴命。江戸時代まで祀られていた大黒天(大国主命)や弁財天、毘沙門天の3柱も併せて祀られている。

現在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、下村家の手により、江戸時代後期の天保10年(1839年)から2年にかけて造立されたもの。

江戸時代中期に行商から大呉服商になり、現在の大丸百貨店の礎を築いた天下の豪商・下村彦右衛門。

当社は、その彦右衛門が熱心に参ったことで知られる。現在は、その彦右衛門にあやかって、仕事運アップのパワースポットとしても知られている。

天保年間に完成した現在の社殿も、下村一族の資本による。総額2500両、現在の貨幣価値で5億円ともされている。

彦右衛門は「福助」のモデルとしても有名。中国から輸入した綿糸を販売し、巨万の富を築いた彦右衛門は、お礼として、当社境内で食事を振る舞った。

天保の大飢饉の真っ最中。次第に人々は彦右衛門を「福の神のような人」と呼び始め、「福助」の愛称が定着した。「天保踊り」が沸き起こったのもこの時

そこで、伏見稲荷大社の人形師が、彦右衛門をモデルにした伏見人形を作ったところ、大人気となり、「福助」の名前が全国に広がったという。

当社では、鳥居前の人形師「欽古堂」に製造を依頼、当時の「福助人形」を復刻して、授与品として参拝者に頒布している。

現在の本殿は北山貴船奧院御社の旧殿を移築・改築したもので、市の有形文化財に指定されている。

本殿や拝殿に立派な彫刻があることで知られ、これらの彫刻は、高名な京の彫刻家で、代々当主が新之丞を名乗る九山新之丞の子息、九山新太郎の作。

本殿の正面は霊獣らしき彫刻に守られている。雲上におり、顔は鳳凰、四足、体にはウロコがあり、鳥のような爪を持つ姿は、何の動物や霊獣を表すのかわかっていない。

特に拝殿天井から見守る、長さ8メートルの龍が有名である。木目の位置まで計算し、立体感や躍動感が湧き出るように製作されている。

無垢材で仕上げられた、木目も麗しいこの龍は、巨木を何十本も使って作られた大きなもので、日本一の大きさともいわれている。

出来が良かったため、夜な夜な抜け出し、近くを流れる今熊野川まで水を飲みに行くとの話が広がった。

当社では拝殿の天井に網を取り付けて、龍が自由に動けないようにしたこともあったという。

毎年9月の最終土曜日に宵宮祭、翌日曜日に神幸祭が行われている。宵宮祭では露店や演芸が、神幸祭では龍舞神輿行列がある。

【ご利益】
事業成功、産業振興、財運・金運、出世開運
瀧尾神社 京都府京都市東山区本町
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