平安期に源頼信が勧請、旧中野村総鎮守、9月例祭は区内最大
[住所]東京都中野区東中野1-11-1
[電話]03-3361-2465

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都中野区東中野にある神社。近代社格では村社。中野氷川神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の長元3年(1030年)、河内源氏の祖である源頼信が平忠常の乱を平定する際、大宮氷川神社の御神霊を勧請し、祠を建てたのが創建とされる。

御祭神は素佐之男尊稲田比売尊大己貴尊。旧中野村の総鎮守で、旧別当は宝仙寺。宝仙寺は現在、中野区中央2-33-3にある。

室町時代の応永年間(1394年-1427年)、宝仙寺中興の僧といわれる第一世聖永が社殿を改築した。

文明9年(1477年)、太田道灌が豊島氏を攻略した江古田・沼袋原の戦い(江古田原合戦)の際、当社に戦勝を祈願し、凱旋後に報賽し、社殿を造営したという。

ちなみに、この戦いの際に道灌が本陣を置いたのが、沼袋氷川神社と伝えられている。

宝仙寺が真言宗豊山派の寺院であることから、江戸時代には護摩行が行なわれた。同時に、神事である湯立神楽も斎行された。

『新編武蔵風土記稿』中野村に「氷川社」とあり、淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子は、幟や提灯の美を競いあったとされる。

また、農村地域らしく豊作の年には獅子舞・相撲・力石競べなども盛大に行われた。往時の庚申塔や力石、石鳥居などが区の有形文化財として数多く登録・指定されている。

明治5年(1872年)11月、村社に列し、明治10年(1877年)に拝殿、明治15年(1882年)に本殿がそれぞれ改築された。

明治44(1911年)には村内の三柱神社と荒澤神社が合祀された。明治・大正期の神輿渡御や山車の巡行も壮麗だったという。

現在でも36町会もの氏子区域を抱えており、例祭は9月15日だが、現在は毎年9月下旬の土・日曜日に行われ、その例大祭は区内最大級とされる。

土曜日の宵宮では、子供山車・子供神輿の巡行があり、20日の当日は大人神輿の渡御がある。境内にある神楽殿では狂言や歌謡大会などが行われる。

境内末社に、塩竃神社・稲荷神社・御嶽神社・北野神社がある。稲荷神社の後方、御大典記念碑の脇に旧帝国海軍の機雷が安置されている。

また、おたぬき様の石像もある。境内にある社号標は、関東軍司令官などを務めた帝国陸軍大将本庄繁の揮毫によるもの。

三の鳥居は東京三大横丁の一つ、鍋屋横丁の由来となった茶屋「鍋屋」の店主である鍋屋勘右衛門が幕末の文久2年(1862年)9月に奉納したもの。

【ご利益】
厄災除け、家内安全、夫婦和合、病気平癒、縁結び
氷川神社 東京都中野区東中野
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