城南宮の境内摂社、平安遷都以前の雷水神、あるいは秦氏系の氏神
[住所]京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
[電話]075-623-0846

真幡寸神社(まはたきじんじゃ)は、京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町にある神社。城南宮の境内摂社である。参拝すれば、城南宮とは別に、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 紀伊郡「真幡寸神社二座」に比定される式内社(小社)。

創祀・創建年代は不詳。『日本紀略』嵯峨天皇の弘仁7年(816年)7月条に、「山城国紀伊郡飛鳥田神・真幡寸神官社の例に預り、並びに鴨別雷神の別也」とある。

一説では、平安遷都以前から拓けたこの鳥羽郷一帯で、乙訓・葛野などの村々と同じく、水田経営に欠かせない水の神としての雷神が祀られた、という。

また別説では、やはり平安遷都以前、当地一帯を勢力下においていた秦忌寸氏(はたいみき)の氏神として、鳥羽郷真幡木里に纛神を祀ったのが始まりとも。

旧地としても二説ある。創祀の説の後者の秦氏にからみ、地名の類似からか、伏見区竹田真幡木町の若宮八幡宮境内が一つ。

当社の北東700メートルにある若宮八幡宮の鳥居の脇に、「史跡 式内真幡寸神社の跡」の石碑が立っている。

他に、当社はもと深草の地にあったが、藤森神社が旧地、つまり現在伏見稲荷大社が鎮座する地から現在地に遷座する際、現在の藤森神社の位置にあった当社が現在地近くに遷座した、というもの。

ただし、伏見稲荷大社、藤森神社の遷座の時期は一般的には鎌倉時代以降、両社の公式見解では室町時代のこととされ、式内当時とは時代はかけ離れる。

どちらにしろ、平安遷都の頃、城南宮が徐々に形成されるにあたり、当社は城南宮に吸収されたか、両社は融合したものと考えられる。

現在の城南宮も近世末から近代にかけて、式内社として「真幡寸神社」を称していたこともあったが、戦後、城南宮に改め、当社を境内摂社とした。

当社の神紋が徳川家と同じ「三葉葵」であることから、江戸時代には幕府より照会があり、その由緒を奉行所に回答した文書が伝わるという。

現在までに、御祭神は真幡寸大神・応神天皇。式内二座には対応しているが、もともとの雷神・水神としての性質を有しているのは真幡寸大神の方か。

竹田地区の氏子の信仰が厚く、石の社号標や石灯籠が寄進されている。

【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け、五穀豊穣
真幡寸神社 京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町
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真幡寸神社 京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町の御朱印