平城・平安遷都で日本最初の方除宮、丹波津宮、御牧の神馬
[住所]京都府久世郡久御山町森宮東1
[電話]075-631-0307

玉田神社(たまたじんじゃ)は、京都府久世郡久御山町森宮東にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

奈良時代、元明天皇の和銅3年(710年)、藤原京から平城京に遷都する際、皇城の鬼門方除の祈願によって、春日四神と、八幡三社、武内神を勧請して八社を祭って、八社大明神と称したという。

平安京への遷都にあたっても桓武天皇は当社に鬼門除けの伺いを立てたとされる。日本最初の方除宮と呼ばれる。

現在までに御祭神は、武甕槌神天児屋根命誉田天皇武内宿禰命の4柱。八幡三神が誉田天皇に集約されたとして、春日四神の中で、姫神と経津主神がいない。

当社は古くは丹波津宮と呼ばれていたらしく、天正14年(1584年)の棟札にその名が見える。丹波津は宇治川と桂川の合流点付近にあった古代からの津。

その場所は特定されていないが、当社地近辺が比定の根拠となるとされる。また、当地一帯は御牧と呼ばれる朝廷直轄の牧場でもあった。

現在の久御山町の「御」もこの御牧から来たとも。奈良時代、左大臣橘諸兄が聖武天皇にここから一頭の馬を選び献上した。

この馬がある時いななき続けるので、人々が不審に思っていたところ、3日後に宮中でボヤが発生した。

数日後、またこの馬が三日三晩いななき続けると、今度は大火事が発生した。その時この馬が自ら轡を外して、火の中に飛び込むと、たちまち消えて火災は収まった。

天皇は稀代の名馬であると、この馬に火鎮(ひしずめ)の名を与え、神馬であるとして御牧の地に返したという。その顕彰碑が現在も境内にある。

天正14年5月、御牧城の城主である御牧勘兵衛尉尚秀が願主となり当社殿を再建した。

江戸時代になり、寛永元年(1624年)5月、淀城城主板倉伊賀守高勝ならびに御牧八郷氏子惣中によって造営が行われた。

現在の本殿は、四間社流造で、その規模は、大きさとして町内随一だという。

境内摂社には、姫大神社(天照大神)・稲荷神社(倉稲魂命)・市杵神社(市杵嶋姫命)・金比羅神社(大物主命)がある。

市杵嶋姫命はもとは本殿に祀られていたとも。また、本殿4柱、摂社4柱であるために、玉田八社大明神と称した、とも。

それであれば、八幡三神に武内神、春日四神の8柱というほうが、付会ということになるか。ともかく、例祭は10月5日。

当社には、本当座・御幣座・御箸座・弓張座・明主座・森座・北相島座・中相島座の宮座があり、例祭日には御神宝を奉じ、社参する伝統の行事が続けられている。

境内には他に、社務所前に江戸時代中期の宝永7年(1710年)9月奉納の水盤、伊勢神宮神武天皇陵・明治天皇陵の遥拝所などがある。

大内川の南東部に位置し、田園風景の豊かな御牧地域、その中の山城八森(やもり)の一つに数えられた玉田の森に鎮座する。当社地には楠木や杉、樫などの古樹が生い繁る。

【ご利益】
方除け、厄災除け、地域安全
玉田神社 京都府久世郡久御山町森宮東
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