道真の師が勧請「管公腰掛石」、5月八瀬祭、10月赦免地踊り奉納
[住所]京都府京都市左京区八瀬秋元町639
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八瀬天満宮社(やせてんまんぐうしゃ)は、京都府京都市左京区八瀬秋元町にある神社。御祭神は菅原道真御朱印の有無は不明。

道真が亡くなった後、師である叡山法性坊阿闍梨尊意(866年-940年)が勧請して創建されたという。

尊意は、貞観18年(876年)、11歳で仏道を志し、栂尾寺の賢一に学び、正平2年(879年)、比叡山に登り、円珍から菩薩戒を受け、延長4年(926年)に天台座主になった。

社殿の背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀られている。十一面観音は道真の本地仏。

道真が若い頃、自己研鑽のため比叡山へ通う際、当地で休息したといわれ、「管公腰掛石」が残る。

江戸時代まで「矢背天神宮」とも呼ばれた。「矢背」の名称は、壬申の乱(672年)の際、当地で矢傷を癒したとされる天武天皇の故事とも関係あるという。

当社の例祭は5月5日。いわゆる八瀬祭で、巫女舞の奉納などの神事が行われた後、2基の神輿が氏子地域を巡行する。

当社には九つの摂社が祀られ、そのうち、本殿南側の秋元神社は、秋元但馬守喬知を祀ったもの。

宝永7年(1710年)、比叡山との境界論争勃発の際、八瀬村の租税の免除の利権を認めた裁決の報恩として、この訴訟の担当者で、時の幕府老中だった秋元喬知を奉斎した。

10月体育の日の前日夜、秋元神社の例祭では、「赦免地踊り」が奉納される。この「赦免地踊り」は、創建以来の伝統だという。

また、裏山中腹には、足利尊氏に追われ比叡山へ逃れた後醍醐天皇の行在所があった「御所谷」があり、当社境内には、「後醍醐天皇御旧跡」がある。

他に、「復租紀恩碑」「皇后陛下御歌碑」などの碑や、「弁慶背比べ石」などがある。弁慶背比べ石は、武蔵坊弁慶が背比べしたとも、比叡山から運んできたともされている。

【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒、身体壮健、開運招福
八瀬天満宮社 京都府京都市左京区八瀬秋元町
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