高倉宮と呼ばれた平家追討の令旨で知られる以仁王の死地と墓
[住所]京都府木津川市山城町綺田神ノ木48
[電話]0774-86-2250

高倉神社(たかくらじんじゃ)は、京都府木津川市山城町綺田神ノ木にある神社。御朱印の有無は不明。

山背古道にほぼ沿った立地。平安時代末期、後白河法皇の第二皇子である以仁王を祀る。隣接して以仁王の墓がある。

『平家物語』によれば、以仁王は治承4年(1180年)、平清盛とその一族の追討を命じる令旨を諸国の源氏勢力にあてて出した。

このことが露見したため、平家に追われた王は、南都の興福寺をたよって都を落ちる途中、当地つまり「光明山寺の鳥居の前」で流れ矢に当たって落命したという。

後に王の御霊を祀ったのが、当社の起こり。当初は近くにあった春日神社の境内に葬られたという。

伝承によれば、以仁王は腹に受けた矢傷に苦しみながら亡くなったという。

その時に「後世、庶民の腹痛の悩みを吾れ代わって救わん」と、言い残したとの逸話から、当社には腹痛のご利益があるとされる。

明治18年(1885年)、春日神社が現社号に改められ、改組された。社号は高倉宮からで、以仁王の別称。京都市の三条高倉に邸宅を構えたことによる。

付近には、王落命の祈りに仏事を営んだとされる阿弥陀寺や、都を落ちる王に従って宇治橋の合戦で活躍した筒井浄妙の墓と伝える塚(浄妙塚)がある。

当社から筒井浄妙塚へ徒歩で向かえば、途中の道端で名もなき石仏に出会える。現在、以仁王墓と浄妙塚は宮内庁が管理している。

【ご利益】
諸願成就、病気平癒、武運長久・勝運
高倉神社 京都府木津川市山城町綺田神ノ木
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