神功皇后伝承、中臣酒屋連と佐牙神社との関係、明治期本殿
[住所]京都府京田辺市興戸宮ノ前100
[電話]-

酒屋神社(さかやじんじゃ)は、京都府京田辺市興戸宮ノ前にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 綴喜郡「酒屋神社」に比定される式内社(小社)。

社伝によれば、神功皇后が通った時、3個の酒壺を当社背後の山上に安置して諸神を祀り、再度通った時、社殿を創立したという。

当社の西方山上に酒器を埋めた「酒壺」との区画があったとされ、神功皇后の伝承を裏付ける。当地一帯は、神功皇后の出身氏族である息長氏と関係あるとの指摘もある。

神功皇后が朝鮮より持ち帰った「九山八海の石」が今も神域に存在するとも伝える。

また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連の一族が来住して酒造りを伝え、その祖神を祀ったものともいう。

佐牙神社の伝によれば、津速魂神19世真人連公の孫である中臣酒屋連が神託によって酒彌豆男神の子である酒彌豆倉神を西側の山上に祀ったのが当社だともいう。

これは第30代敏達天皇2年(573年)とされ、そうすると、当社と佐牙神社は同じ年に創建されたことになる。

佐牙神社は式内社「佐牙乃神社」に比定され、当社の南西3キロほどに鎮座し、宮中の酒造司との繋がりをもつともされる。

それに対して当社は、境内に、壺神社(埴山毘売神)や火産霊神社(火産霊神)もあり、酒器製造にかかわる社として親密な関係にあった、とも推定されている。

『延喜式神名帳』には河内国丹比郡にも同名の神社が掲載されており、大阪府松原市の屯倉神社の境内社である酒屋神社に比定され、やはり、中臣酒屋連と関連するとされる。

また、摂津国住吉郡の式内社に「中臣須牟地神社」があり、中臣酒屋連との関連が考えられている。

当社は貞観元年(859年)正月に従五位下に叙せられた。『山城綴喜郡誌』によれば、古来、社僧らが奉仕し、斎主神として崇められたという。

本殿は明治9年(1876年)の再建で一間社流造、屋根に特徴があり、千鳥破風と軒唐破風を配した姿は山城地域では宇治市の県神社など限られたところにしか見られない。

例祭は11月3日。

境内には、先の壺神社・火産霊神社を含む、佐多彦名神社・錦津姫神社・伊邪那美神社・豊受神社・三神社・市杵島姫神社(厳島宮)・事比羅神社の合祀殿がある。

また、若宮春日社・天満宮社・多賀社・龍王神社がある。

【ご利益】
酒造、産業振興、事業成功、操業安全
酒屋神社 京都府京田辺市興戸宮ノ前
【関連記事】
京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧