猪飼野・百済野、仁徳帝の休息地、昭和の社殿、だんじりとえべっさん
[住所]大阪府大阪市生野区桃谷3-10-5
[電話]06-6731-2816

御幸森天神宮(みゆきのもりてんじんぐう)は、大阪府大阪市生野区桃谷にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

当地は古くから猪飼野(いかいの)と呼ばれ、猪甘津(いかいのつ)と呼ばれる古代の港があったことに由来する。

猪甘津は『日本書紀』第16代仁徳天皇14年の条に記され、猪甘部(いかいべ)と呼ばれる官職を務める者が住んでいた。

猪甘部は朝廷への貢物として豚を飼育する役を司っていた。また、付近は百済野と呼ばれ百済からの渡来人が多く住んでいた。

水鳥が集まる景勝地であったとも伝えられている。

伝承によれば、仁徳天皇が鷹狩や渡来人の様子を見聞する御幸に際して、度々この地の森で休憩したことから、御幸の森と呼ばれるようになった。

仁徳天皇の崩御後の第18代反正天皇2年、仁徳天皇の神霊を祀る社が建立され、御幸の祠や御幸宮と称された。

平安時代中期、全国に疫病が流行し、人々は大いに恐れ苦しんだ。その時、社僧大蔵院行綱は当宮に病気平癒、厄除の神として、京都五條天神社から少彦名命を勧請、奉斎した。

ひたすら疫病を祓う祈祷が行なわれ、その結果、疫病は鎮まり、以後、当村の者は疫病にかかることはなかったと伝えられている。

この当時は天王天神社・天皇天神社と呼ばれたという。

また、清水谷に地主の神、忍坂彦命を奉祀する天神社があった。しかし、元和元年(1615年)、大坂夏の陣の際、社殿が兵火により焼失した。

大阪城代松平忠明はその有り様を憂い、その御神霊を当宮に奉遷。その際、祭田として百済川、中洲の地と燈明台1基を寄進した。この燈明台が現存する。

明治維新後、現社号に改称した。本殿・幣殿・拝殿は昭和初期の建造。透塀とともに国の登録有形文化財。

本殿は、三間社流造で屋根正面に千鳥破風と軒唐破風を付ける組物は身舎を軒支輪付の出組、庇を三斗組とする。

拝殿は、亀腹基壇上に建つ入母屋造平入りで、正面に緩やかな曲線からなる唐破風造の向拝を備える。内部は1室で背面左右の庇を「のりと座」及び「祭器庫」とする。

幣殿は、本殿・拝殿間を繋ぐ桁行2間、両流造。側面に菱格子窓を構え腰板壁とする。内部は木舞下地の化粧屋根裏とし、上下2段の虹梁を渡した架構に特色がある。

また、境内の椋の木は樹齢約700年、市の保存樹木に指定されている。例祭は10月15日で例大祭、だんじり(地車)の巡行がある。

現在、当宮はコリアタウンの近くに鎮座する。当宮や当地は、仁徳天皇の時代から、半島との付き合いは変わらない。

摂社に、天満宮・御幸戎神社・稲荷神社がある。御幸戎神社では1月9日-11日に十日戎があり、「えべっさん」として親しまれている。

【ご利益】
平穏安寧、病気平癒、病魔退散、商売繁盛
御幸森天神宮 大阪府大阪市生野区桃谷
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御幸森天神宮 大阪府大阪市生野区桃谷の御朱印